« 丸谷才一/内田 樹■ 書きたい、書けない、「書く」の壁 | トップページ | 内田樹■ 「おじさん」的思考 »

高平哲郎■ ぼくたちの七〇年代

20060727bokutatihnotakahira

一難去ってまた一難。九月号が出た数日後に、中村社長から呼ばれた。

「困ったことになったんだよ」

「なんでしょう? 今度は?」

「『ワンダーランド』という誌名がすでに登録されていたんですよ」

晶文社の応接セットの長椅子に軽く乗せた尻が落ちるのをかろうじてこらえた。ぼくの調査ミスだ。♪誰のせいでもありやしない、みんなおいらが悪いのさ――尾藤イサオの歌声が頭蓋骨にこだました。

「世界文化社が持っていたんだよ。幼児向けの雑誌で、このタイトルを登録していたんだ」

「で……どうしたら」

「今後、誌名は使えない。三大紙に謝罪広告を出さなきゃならない」〔略〕

会議で新しい誌名は『宝島』とすんなり決まった。片岡(義男)さんと津野(海太郎)さんと平野(甲賀)さんが話し合ってすでに内定していたのかもしれない。髭をいじりながらニヤニヤしていきさつを聞いていた植草甚一さんは、新しいタイトルにうなずいた。

■ ぼくたちの七〇年代高平哲郎|晶文社|200401月|ISBN4794966024

★★★

《キャッチ・コピー》

1979122日、植草甚一が死んだ。そのとき、ぼくたちの七〇年代が終った。幻の雑誌『ワンダーランド』から『宝島』へ。テレビ番組『笑ってる場合ですよ』から『今夜は最高!』へ。

コピーライター、雑誌編集者、放送作家、演出家として、七〇年代サブカルチャーの生まれる現場にいた著者の回想。

memo

 植草甚一・編集と銘打った『ワンダーランド』が1973年に創刊され、第3号から「宝島」に誌名変更。写真はいまも手元にある2号、3号の表紙。

|

« 丸谷才一/内田 樹■ 書きたい、書けない、「書く」の壁 | トップページ | 内田樹■ 「おじさん」的思考 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高平哲郎■ ぼくたちの七〇年代:

« 丸谷才一/内田 樹■ 書きたい、書けない、「書く」の壁 | トップページ | 内田樹■ 「おじさん」的思考 »