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内田樹■ 「おじさん」的思考

20060728ojisannutida

日本はこれから「右肩下がり」の時代に入って行くと私は思っている。

経済が失速し、政治的プレザンスが消滅し、文化的発信力はさらに希薄になるだろう。

しかし、べつにそれを嘆く必要はない。これまでだって世界に覇を唱えた帝国はつねに滅びてきたのである。〔略〕

人間と同じで、国もまた未熟なときもあれば、壮健なときもあり、老衰してゆくときもある。老人には老人の生き方、老人ならではの生活の楽しみ方がある。

日本は今「老人国」になろうとしている。それはべつに高齢化社会とかそういう意味ではない。国そのものが「お疲れさん」状態に達している、ということである。

明治が起業期で、昭和のはじめに世間知らずのまま夜郎自大的に事業を拡張、中年で倒産して路頭に迷い、一念発起でニッチビジネスで再起を果たし。いつのまにやら大金持ち。それを無意味に蕩尽し果てて、無一物の晩年、というのが近代日本の「人生」である。

無一物にはそれなりの豊かな生き方がある。

■ 「おじさん」的思考内田樹|晶文社|200204月|ISBN4794965303

★★★

《キャッチ・コピー》

「日本の正しいおじさん」の旗色がよろしくない。

「進歩的文化人」は罵倒の枕詞となり、「家父長」は打倒対象となり、「常識」や「社会通念」は反時代的イデオロギーとしてごみ箱に棄てられ、「正しいおじさんの常識」はいまや風前の灯である。

だがその灯をほんとうに絶やしてしまってよいのか? 

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