坪内祐三■ 私の体を通り過ぎていった雑誌たち
一九七〇年代はサブカル雑誌(リトル・マガジン)の黄金時代だったと言われている。〔略〕
それらのリトル・マガジンに共通していたのは反体制(あるいは非体制)のにおいだ。私はそのにおいが嫌いだった(ある時期からの『宝島』にもそのにおいが立ち込めはじめて、私が熱心な読者でなくなっていったことはすでに書いたと思う)。
私たち(一九五〇年代後半生まれ)は「シラケ世代」と言われた。私のことを「シラケ世代」の代表のように書いた人もいるが、実は私は、「シラケ」が大嫌いだ(「シラケ」と「クール」は全然違う)。そのどこか非体制的な雰囲気が(本当に非体制であるには、例えば永井荷風のように特別な緊張感が必要なのに、その種の緊張を欠いた非体制の雰囲気)。それは高度成長時代の甘えに過ぎない。〔略〕
十代の頃、私は、リトル・マガジンに、そういう同時代性を感じた。特に『話の特集』と『面白半分』にそれを強く感じた(今思えば、『話の特集』の矢崎泰久は、あるいは『面白半分』の吉行淳之介や野坂昭如は少しもシラケた人たちではなかったのだが)。
■ 私の体を通り過ぎていった雑誌たち|坪内祐三|新潮社|2005年02月|ISBN:4104281026
★★★
《キャッチ・コピー》
1960~80年代。雑誌が一番輝いていた、あの時代。小学生の頃から「雑誌小僧」だった著者による、百科全誌的思い入れクロニクル。
《memo》
このやたらに( )つきの文章に疲れる。
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