立川談志■ 談志が死んだ――立川流はだれが継ぐ
つまり、あのォ、何だァ、ウーン、そのネェ、物事、というか、ものぐさ、というか、何だか面倒ンなってきちゃってネ。時に生きてることすら面倒ンなったりするんだヨネ。で、飛び降りちゃったり、しちゃったりしようかなんて、考えちゃったりしたりしちゃって……。(……)
何か纏めたり、辻棲ァ合わせたり、いいこと言ったり書いたりしちゃったり、それが間違ったり……。何だァ、そのォ、それがネ、面倒ンなっちゃった。
人間なんて本来、余計なことをしなくてすんだはずなのに、それなのに、その、なんだァ、好奇心てのかネェ。困ったもんが有りましてネェ。で、人間、皆んなにそれがあるもんだから、“有る”ということを全ての前提にして物事を始める。
だから、いろんなことをやる奴を、「多芸多才」とかいって持て囃すから、こんな世の中になっちゃった。で、家元も反省しているのか、本来に戻ったのか、面倒くさくなってきた。これを“歳のせい”と世間じゃいうがネ。
――「第三部 家元、『弟子』を語る」
■ 談志が死んだ――立川流はだれが継ぐ|立川談志/落語立川流|講談社|2003年12月|4062121859
★★★
《キャッチ・コピー》
祝! なんと落語立川流20周年。「落語家の了見」。最初で最後か、の大饗宴! 家元+37人が勢ぞろいして語り尽くした本。
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