« 寺山修司■ 寺山修司の俳句入門 | トップページ | 川上弘美■ 此処彼処 »

江弘毅■「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ

20060919matitekikou

しいて言うと、いろんな人がいていろんなことが起こっている街で、「それはないだろ」ということをしでかして平気でいる人のことを、「いなかもの」という言い方で称したりする。

それは店や人に関わる際に、その場やそこの空気を読むことができなかったりして、

周りにいる人を困惑させたりすることである。人的関係性の中での「情報感度の低い人」がそれに該当するのだろう。〔略〕

けれども、現代の都市システムの根幹をなしている情報化/消費化社会では、「都会的な情報」に疎かったり持たない者が「いなかもの」呼ばわりされるという、非常にねじれたことになっている。〔略〕

そう考えると、どうも人から「いなかもの」だと呼ばれることに怯え、そう言われないために流行や消費に特化した情報を纏うことに粉骨砕身することが、逆に「いなかもの」をつくり出すというスパイラル的な構造を下支えしているように思える。

「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ江弘毅|講談社|200608|新書|ISBN4061498568

★★★

《キャッチ・コピー》

情報に踊らされ消費するだけでは、ごきげんな時間は得られない。街とメディアの現場に身を置き、関西のオトナの街的文化を常にリードしてきた街の雑誌『ミーツ』前編集長が綴る、京阪神街場のたのしみとは?

memo

タイトルにちょっと興味をもっても……。サブタイトルがダメ。引いてしまう。

|

« 寺山修司■ 寺山修司の俳句入門 | トップページ | 川上弘美■ 此処彼処 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 江弘毅■「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ:

« 寺山修司■ 寺山修司の俳句入門 | トップページ | 川上弘美■ 此処彼処 »