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新書マップ編集部■ 3時間で読める!ビジネス新書900冊

200810sanjikande

ますます新書の点数は多くなり、取り扱われるテーマ、分野も飛躍的に広がってきています。これはつまり、情報ツールとして見た場合、新書群の持つ情報の網羅性が飛躍的に高まっているということです。

このような点からも、現在の日本の新書群は、「知の入門アーカイブ」として、さまざまなテーマについてある程度まとまった知識・情報を取得する手段として、もっとも手軽でかつ有効だといえるのです。〔…〕

「新書」は20071年間で、教養新書といわれる主なシリーズだけでも1000冊以上が出版されました。これではいくら「たいていのことは『新書』に書いてある」と言っても、どの新書を選ぶか、あるいはどういう新書があるのか、簡単には調べられません。〔…〕

現代の諸問題を知るうえで総合的な入門書として、数ある新書群はもっとも相応しいといっていいでしょう。

となれば、「あなたがいま求めている新書」が、そのなかから的確に素早く見つかればいいわけで、本書はそのニーズに応えるためのガイドとして編集されました。

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■ 3時間で読める!ビジネス新書900冊|新書マップ編集部|光文社 |ISBN9784334934361 200804

★★☆☆☆

《キャッチ・コピー》

書店よりもネット検索よりも「いま・必要な」新書に素早くたどりつける!画期的な「テーマ別」新書ガイド。

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小沢昭一■ 小沢昭一座談(5)芸渡世浮き沈みアハハ

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浪越 その香具師とは何ぞやということになりますと、戦国時代に、ご承知のように、各地の郷士が、自分の配下をですね、小作人といいますか、それをまとめて、戦争屋さんのお手伝い、雇い兵に行ったんですね。

そして雇われ兵でやって、給料をもらい、米をもらいして食っていた。ところが、一応徳川が日本を平定した。世の中おさまった。〔…〕クビにされた雇われ兵が、食うに困るわけですね。といって、いまさらク二へ帰れない。〔…〕

そこで侍の女房が使う香具ですね。香具といえば化粧品ですよ。紅、おしろい、香料、そういう香具を仕入れて、〔…〕香具を売って生活していたのが、その家庭訪問販売だけでは食えなくなって、〔…〕その香具を持って露店に出たんですね。で、いわゆるヤシになった。

小沢 なるほど。

浪越 これが香具師なんですね。しかし、香具師はほんとうの武士でなくて、これ、野武士だったんですね。田んぼをやっていたのが武士になった。野の士です。野士、ね。そこで香具師と書いてヤシと読むようになった。

――「テキヤ芸論 浪越繁信(香具師)」

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■ 小沢昭一座談(5)芸渡世浮き沈みアハハ|小沢昭一 |晶文社 |ISBN9784794924858 200711

《キャッチ・コピー》

芝居を語り、テレビ・ラジオを語る。芸能の初源を求める放浪芸探訪、落語への憧憬。全編さまざま、役者小沢昭一の素顔。最終巻。

小沢昭一■ 小沢昭一座談(1)人類学入門――お遊びと芸と

小沢昭一■ 小沢昭一座談(4)こんばんは小沢ですーへへへ

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林義雄■ やまとことばワンポイントレッスン

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俳句に用いられる夏の季語に、漢字で「南風」と書いて[ハエ]と読まれる、風の方位名があります。(……)

この[ハエ][]は、歴史的仮名遣いに従うとしたら、どの仮名で表すことになるのでしょうか。候補としては、「はえ」「はへ」「はゑ」の三とおりの表記が考えられます。

しかし実は、どれを選ぶのがよいのかを厳密に決めることはできません。なぜならば、このことばが文献に姿をあらわすのは、十七世紀初頭のことですが、そのころはすでに語中語尾の「え」「へ」「ゑ」の音韻上の区別は失われているので、この語の歴史的仮名遣いの証例を得ることはできないからです。(……)

後の時代になってから新しく生まれた日本語に、歴史的仮名遣いの基準をあてはめようというのは、そもそも無理な話なのです。(……)

しかし、現代日本語では使用することのない「けり」や「かな」を切字として用い、あるいは「いづる」や「たゆたふ」のような古いやまとことばを俳句表現用語として使いたいのであれば、その表記には歴史的仮名遣いを選ぶ必要があります。

■ やまとことばワンポイントレッスン|林義雄|リヨン社/二見書房|200506月|ISBN4576050907

★★★

《キャッチ・コピー》

近現代の俳句・江戸時代の俳諧にあらわれた「やまとことば」をもとに、日本語の変化や、ことばのきまり、仮名遣いをやさしく解説。

俳句や連句愛好家の、文語・歴史的仮名遣いアレルギーも緩和されること請け合い!

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立川談志■ 談志が死んだ――立川流はだれが継ぐ

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つまり、あのォ、何だァ、ウーン、そのネェ、物事、というか、ものぐさ、というか、何だか面倒ンなってきちゃってネ。時に生きてることすら面倒ンなったりするんだヨネ。で、飛び降りちゃったり、しちゃったりしようかなんて、考えちゃったりしたりしちゃって……。(……)

何か纏めたり、辻棲ァ合わせたり、いいこと言ったり書いたりしちゃったり、それが間違ったり……。何だァ、そのォ、それがネ、面倒ンなっちゃった。

人間なんて本来、余計なことをしなくてすんだはずなのに、それなのに、その、なんだァ、好奇心てのかネェ。困ったもんが有りましてネェ。で、人間、皆んなにそれがあるもんだから、“有る”ということを全ての前提にして物事を始める。

だから、いろんなことをやる奴を、「多芸多才」とかいって持て囃すから、こんな世の中になっちゃった。で、家元も反省しているのか、本来に戻ったのか、面倒くさくなってきた。これを“歳のせい”と世間じゃいうがネ。

――「第三部 家元、『弟子』を語る」

■ 談志が死んだ――立川流はだれが継ぐ|立川談志/落語立川流|講談社|200312月|4062121859

★★★

《キャッチ・コピー》

祝! なんと落語立川流20周年。「落語家の了見」。最初で最後か、の大饗宴! 家元+37人が勢ぞろいして語り尽くした本。

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立川談四楼■ 大書評芸

20061020daisyohyoutatekawa

そもそも書評とは一体何であろうかと。それを探るべく、ありとあらゆる書評に目を向けた。もちろんいいものもあるが、多くは単なる提灯記事であり、やっつけ仕事であることがわかった。無署名でアラ筋だけというのもあり、自惚れとは恐ろしいもの、これなら勝てると思った。(……)

大間違いだった。いや志は悪くないのだが、現実が嫌応なく立ちふさがるのだ。これだと思った本がよくハズれ、あわててもう一冊読んだら大ハズレで……そうなるとパニック、〆切は迫り、何度ナナメ読みのやっつけ仕事という誘惑にかられたことか。で、ヘトヘトになった挙句の報酬がまた安いんである。

ならやめればいいじゃないかというのは今度は読者の間違いで、そこが持ったが病というやつなのである。書店で、オレを見殺しにするのかと棚から囁かれてごらんなさいあなた。どうしたってねえ……。

■ 大書評芸|立川談四楼|ポプラ社|200503月|ISBN459108602X

★★★

《キャッチ・コピー》

当代随一の手練れが、一席ずつ料理する。こんな贅沢な話があっていいのかしら。涙と怒りとユーモアと。書物をめぐる連続独演会へようこそ。

memo

 読みたい気にさせる無類に明るい書評集。

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玉川しんめい■ ぼくは浅草の不良少年―実録サトウ・ハチロー伝

20061019bokuhaasakusatamagawa

後年彼は『おかあさん』の詩で有名になったが、その時の詩は母ではなく、「父を見送った夜」という親父への愛情溢れる詩であった。とても初めてつくったとは思えない素晴らしい詩だった。

そこで、平野威馬雄)はハチローを同伴して、早速道玄坂の正富汪洋のところへ持っていくと、「新進詩人」の大正八年八月号に掲載された。

それから間もなく福士幸次郎)が、平野らに、「折角集まったんだから、何か詩の雑誌でもやらないか」といい出した。

そこで慶大の予科に通っていた牛込の耳医者の息子の林(後年の推理作家木々高太郎)、リスみたいにクリクリっとした目玉と長い耳をもった三ちゃん(雑誌「宝石」の名編集長だった永瀬三吾)、紅顔の美少年国木田独歩の長男の虎雄、元気のいいチンピラあんちゃんだった牧野吉晴、そして金子光晴……という威勢のいい連中が集まり、大いにやろうということで「楽園詩社」という詩の同人雑誌社を興したのである。

福士の家の近くには芥川龍之介がいた。時々「楽園」の集まりにきてくれて、これらの若い連中を励ましていた。平野が十七、ハチローがまだ十六歳の時のことだ。

■ ぼくは浅草の不良少年―実録サトウ・ハチロー伝|玉川しんめい|作品社|200501月|ISBN4861820219

★★

《キャッチ・コピー》

戦後の焼跡に響いた「リンゴの唄」、童謡「ちいさい秋みつけた」、日本最大のベストセラー詩集『おかあさん』…。

転校8回、留置所入り30回以上の浅草一の不良少年は、やがて、エノケン、ロッパ、菊田一夫など浅草芸人たちと交わりながら、日本一の詩人になっていく…。本書は、多くの資料や証言をもとに描いた、唯一の“実録サトウ・ハチロー伝”である。

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■ サイゾー10月号別冊――『噂の眞相 闘論外伝』

20061018saizotouron

魚住護憲勢力というと、社民や共産といったイメージがあるけれど、実際に憲法9条を守ってきたのは、実は、自民党の中の“汚れたハトたち”なんですよ。さまざまな政治局面で、「この一線を超えてはいかん」とブレーキをかけてきたのは、“汚れたハト”と宏池会なんです。

金権政治家と言われた、金丸(信)さんや竹下(登)さんもそうですが、地元と密着したところから成り上がってきた辺境の政治家たちが、相当な護憲勢力になっていた。(……)

岡留-確かに、現実主義的な理念に走る前原前民主党代表のような政治家は結局対米追従になりやすく、危ないですね。

魚住-危ないですよ。僕は理念と利害がぶつかることによって、理念の暴走を防ぐことができると思うんです。

旧田中派を中心とした政治家が総じてハト派なのは、彼らが地元住民と密着した実利主義、現実主義だから、「北朝鮮はけしからん」「北朝鮮と戦争しろ」という石原慎太郎や安倍晋三のような頭だけで物事を考えるような政治家のバカげた発言に乗らないんですよ。だって、戦争で一番困るのは、一人ひとりの住民なんですから。

―― 魚住昭・岡留泰則 「政治家スキャンダルとマスメディア

■ サイゾー10月号別冊――『噂の眞相 闘論外伝』岡留安則vs12人の論客|インフォバーン|200610月|

★★★★

《キャッチ・コピー》

マスコミ最大のタブー「天皇制」と小泉ー安倍に関するメディアの現状を撃つ!

memo

20043月に休刊した月刊誌『噂の真相』の再登場かと思わせる杉浦康平の表紙デザイン。『サイゾー』に掲載されていた元編集長の岡留安則氏の過激な対談をまとめたもの。

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仲間秀典■ 開高健の憂鬱

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平野栄久は、開高が高見順を論じた「高見順伝」(『現代日本文学館39高見順・伊藤

整』)の一文

「高見順はたくさんの長篇、中篇、短篇を書き、〔略〕

……食道ガンになり、五十八歳で死んだ。

たえまない回転。停止することをひたすら恐れる恐怖そのものからくるたえまない回転。書きつづけ、喋りつづけ、読みつづけ、飲みつづけ、旅しつづけた生涯」

を引用し、作家としての資質が異なり、文学的影響を受けた様子のみられない高見に、開高が自己の姿を投影しているのは、二人が共有する「子宮願望」であろうと推量する(『開高健 - 闇をはせる光茫』)。

高見順と開高の生涯には類似点が多く、当時四十代の開高が書いた「高見順伝」は、

高見の一生に重ね合わせてそれまでの自己を回顧し、さらに二十余年後までの自らを予測したような印象を受ける。

とりわけ、食道がんという死因と五十八歳という死亡年齢の一致は、なんとも信じ難い事実である。

――「開高の性格類型(構造)

■ 開高健の憂鬱|仲間秀典|文芸社|2004 04月|ISBN483556894X

★★

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「輝ける闇」を作風の分岐点と捉えると、病跡学的にはその間に彼自身の精神内部に変調が起こったことが推測される…。医師の目から見た開高健。その病跡と作風の関係を探った画期的な書。

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森繁久弥/久世光彦■ さらば大遺言書

20061016sarabamorishigekuze

例えば、森繁さんは気持ちよく「大楠公」という昔の歌を歌っている。《青葉茂れる桜井の/里のわたりの夕まぐれ/木の下かげに駒とめて――》――ここで歌が中断した。

歌詞のつづきを忘れたのだろうか。私は《世の行く末をつくづくと》と囁こうかと思った。けれど、森繁さんは<忘れた>という顔ではなかった。明らかに、全く別のことに心を囚われている表情だった。

目は宙の一点を見つめ、膝の上の両の拳は強く握られている。何か<別の思い>を森繁さんは持っている。――それが何かは、解らない。

二十年前の森繁さんなら、その思いを、その場で口にしたものだ。「桜井というのは大阪でしたっけ? 奈良にも桜井はありましたね」、(……)――例えばこんな具合である。ところが今日の森繁さんは、そこで黙る。空白の時間を作る。そこが知りたい。

穿って言えば、森繁さんは<口にする>ことが面倒になり、<会話>が空しくなり、一人で<思っている>ことの<真実さ>または<純粋さ>を覚ったのではないか。――とすると私たちは黙るしかない。

――これはたぶん<老い>ではない。余計なことを削ぎ落とし、<理屈>を捨ててしまった後の――これは清澄な日々なのではなかろうか。

――「緬羊

■ さらば大遺言書|森繁久弥/久世光彦|新潮社|200604月|ISBN4103545062

★★★

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「どうしてオレより先に逝った……」急逝した久世光彦と93歳を迎える森繁久彌が、昭和という時代や人生を語り合った「週刊新潮」聞き語りエッセイ最後の一冊。

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ダニエル・カラハン / 岡村 二郎:訳■ 自分らしく死ぬ――延命治療がゆがめるもの

20061015jibunnokamura

長年の友人が、私の夏休みの間に彼の牧場に来ないかと言ってくれた。その時、私には分からなかったのだが、彼の目的はほぼ確実に、直接に知らせようとはしないものの、 長年の付き合いの絆を確かめ、別れを告げるためであった。〔略〕

数ヶ月して彼は死んだ。彼の死は、私がこれまで研究を続け、そしてこの本で書こうとしてきたような死であった。

彼の奥様が後でくれた手紙によると、「臨終となったあの日、彼は私たちに死の時が来たと言い、私たちに生を引き延ばすことなく逝かせるのだと要求しました。

私たちは、彼の旅立ちに心痛みながら、愛と祝福を捧げ、彼は安らかに逝きました。死に際しても、生前同様に美しく、高潔で、気品がありました」。

あれだけの痛みの中で、あんな風に死ねる人がいるのだろうか?自身に問いかけないといけなかった。もっと一般的な問いが、心に浮かんでくる。

その疑問は、これまで私が見聞してきた安らかな死を遂げた人々に共通の特質は何だったろう?である。

――「第7章 見守ることと待つこと

■ 自分らしく死ぬ―延命治療がゆがめるもの|ダニエル・カラハン / 岡村 二郎:訳|ぎょうせい |200610月|ISBN: 4324080410

★★★★

《キャッチ・コピー》

医学が進歩し「不健康でも長生きできる」社会で、医療と死と人間の関わり方はどうあるべきか。安らかに死を迎えるための書。

memo

訳者あとがきに「今年古希を迎えた」とある。訳者・岡村二郎氏は、わが職場の先輩。古希にしてこの訳業、そのエネルギーに感嘆。中味も古希にふさわしく。

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ジェレ・ロングマン■ ユナイテッド93―9・11

20061014yunaironngu

2002418日、コックピットのボイスレコーダーを聴くために、70名ほどの遺族がニュージャージー州プリンストンのホテルに集まった。(……)

参加した遺族たちは、ムサウイの主任検察官であるデーヴィッド・ノバック連邦地区検事補から、乗客たちが食事用カートを盾にしてコックピットに突入したという説を聞かされた。2人の政府当局者もノバックから彼の説を聞いていると証言している。

93便の最後の数分間、ボイスレコーダーは、人がさかんに動く音、もみ合っている音、うめき声やうなり声、英語とアラビア語の叫び声が飛び交い、グラスが割れ、皿が砕ける音を拾っており、乗客たちが必死に抵抗し、激しく争う様子が記録されていた。(……)

958分、飛行機を奪還するための最後の戦いが始まった。

■ ユナイテッド93911|ジェレ・ロングマン/原口まつ子訳|光文社|200607月|文庫|ISBN4334761720

★★★

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「さあ、かかれっ」―かけ声と同時に、乗客たちはコックピットへ突進した。運命を我が手に取り戻すために。―2001年9月11日、ユナイテッド航空93便は、高度35,000フィートでハイジャックされた。

機内に飛びかう絶叫と悲鳴。極限状態のなかで、愛する家族へ最後の電話をかける人々…。そして、おとずれる永遠の沈黙。いま明かされる、テロリストと闘った乗客たちの真実の記録。

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檀ふみ/阿川佐和子■ けっこん・せんか

20061013kekkonndannagawa

阿川 だけど、受賞するのは、世のためになったり、見聞を広げるために実になったりする本だから、私には生涯縁がないと思ってたの。役に立つことは何も書いてませんから。

 でも、役に立たないことを書きたいって宣言してたじゃない。

阿川 そう。役に立つ人間ばかりだったら、息が詰まるかもしれないから、私は役に立たない方向を専門にさせていただこうとあるとき思って。

 「世の中の『箸休め』のような」でしたっけ?

阿川 そうそう。あなた、ほんとに人が話したことよく覚えてるわね。「箸休め」のような人間がいてもいいんじゃないかと思ったら、楽になったの。

 でも、「箸休め」って、気がきいてて、食欲をそそらなくっちゃいけないのよぉ(笑)。

阿川 わかってますよッ!

――「アガワは『火宅の人』の隠し子だった

■ けっこん・せんか|檀ふみ/阿川佐和子|文藝春秋|200403月|ISBN4163653309

★★★

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恋を語り、家族を語り、ワインを語り、ときには犬とともに吠える。「愛と罵倒」の名コンビが打々発止とわたりあう、痛快無比の名対談。

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東照二■ 歴代首相の言語力を診断する

20061012rekidaiazuma

答弁なのに質問する?

国会答弁では、各党の質問者が首相、その他各大臣、政府首脳たちに質問をする、そしてそれに首相などが答えるというのが一般的だ。

国会答弁とはまさに答えるということであり、首相は質問に答えるのがその役割である。ところが、答弁中に逆に相手に(あるいは自分自身に)質問を投げかける、つまり疑問形を使って答えるという答弁スタイルも可能性としては考えられる。

しかしながら、そうしたケースは実際にはあまり多くないというか、むしろ皆無に等しいといっていい。ただし、一人の例外を除いてはである。それは、『変人』小泉である。(……)

小泉の場合は、すべての文末表現のうちの約十八パーセントが疑問形だということになる。

――「第三章 歴代首相の国会答弁

■ 歴代首相の言語力を診断する|東照二|研究社|200607月|ISBN4327376973

★★

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戦中・戦後の歴代首相の国会での演説や答弁を徹底調査。『~あります』の東條英機、『~いたしました』の田中角栄、『考えます』の竹下登、『~です』の小泉純一郎など、それぞれの話し方の特徴や時代による変化をデータをもとに鮮やかに分析し、政治とことばの関係にあらたな光を当てる。

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島田雅彦■ 妄想人生

20061011mousousimada

人は下界に用がなくなると、山に登りたがるものだろうか?

平日も休日も山は年配者で賑わっている。(……)

用具一式を揃えたら、あとは交通費くらいで済む。高い会費も会食代も入場料もいらないローコストの楽しみである。(……)

どうやら山登りには年齢制限というものはないらしい。無論、よほどの鍛え方をしていなければ、エヴェレストなど登れるはずもないが、そこは百メートルを十秒台で走るのとは違い、圧倒的な筋力や瞬発力の勝負というよりは、順応性や体力の配分によって、どうにかなるのが登山なのである。逆に体力任せにごり押しするような姿勢は登山には向いていない。(……)

必ずしも体力自慢の若者に有利ではないのが登山というやつなのである。より早く、より遠く、より高く、は登山では求められておらず、その基本は、無理をせず、慎重に、余裕を持って、歩くことである。

全力を尽くすのではなく、余力の温存に努めるのである。なほど、それならば、若者よりは老人向きかもしれない。

――「38 老人と山

■ 妄想人生|島田雅彦|毎日新聞社|200509月|ISBN4620317276

★★

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夢見るオジサマになるために。あなたの妄想脳を鍛える気宇壮大のススメ。

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奥田英朗■ 町長選挙

20061010tyoutyouokuda

「おまんは甘い」

岩田社長が引き継いだ。淡々とした口調だった。

「この千寿は過疎の島じゃ。資源もなく、財源も乏しく、普通なら全員が貧乏じゃ。

でもな、曲がりなりにもインフラが整備された文化生活を送れるのは選挙があるからなんじゃ。

無風選挙なら町長は何もせん。役場もらくをする。数票差でひっくり返る宿敵がおるから、死に物狂いで公共事業を引っ張ってくるんじゃ。それが独自の公約じゃ。

正義感だけで離島は運営できん。不正は正当防衛じゃ。生まれたときから当然のように病院や学校がある東京者にはわからん」

良平は黙った。熱かった頭がすうっと冷えていく。

「わしらは全員、島を愛しとる。そのうえで戦うんじゃ」

最後にぽつりと言った。

両陣営の男たちがうなずく。敵同士なのに、この瞬間だけ心をひとつにしていた。

■ 町長選挙|奥田英朗|文藝春秋|200604月|ISBN4163247807

★★

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満を持して、伊良部シリーズ第3弾登場!

都下の離れ小島に赴任した精神科医の伊良部は、島を二分して争われる町長選挙に巻き込まれてしまう。

あの伊良部が引きこもりに!?

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鷹羽狩行■ 俳句一念

20061009haikuitinentakaha

古格にしたがえば、俳句は五・七・五の三段落で一文をなしているが、近代俳句では二段落の構成も少なくない。

木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ  楸 邨

耕せばうごき憩へばしづかな土     草田男

虹のぼりゆき中天をくだりゆき     誓 子

第一・二句は、ともに中七の第三音で切れ、第三句は中七の第二音で切れ、全体としては、その切れ目を境にして二段落となっている。

このような五・七・五の定型をリズムにおいて守りながら、意味において複雑な屈折を与えることを、俳句では“句またがり”と呼んでいる。

             

それは厳格な構成をもつバッハの音楽と、奔放なロマン派の音楽とのちがい、あるいは御歌所の和歌の朗詠と、ジャズ・ソングの歌い方との相違のように、古典的→ロマン的→現代的といった時代精神や美学の変遷と無関係なものとはいえまい。

――「句またがりについて

■ 俳句一念|鷹羽狩行|角川学芸出版|200409月|ISBN4046519185

★★

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愛着の俳句をまじえて綴る季節随筆から作句工房の秘密、俳句と小説、そして交遊・追悼記まで、珠玉のエッセイ61編。

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司馬遼太郎■ 司馬遼太郎対話選集(7)人間について

20061008ninngennsiba

同じく言葉の芸術でも、俳句は男性的なんです。短歌は女性的ですけれども。(……) 

正岡子規のように、同一人格の中で両方をつくることがあるけれども、やはり俳句のほうが男性的ですね。三段階に分けられた論理ですから、はっきりとしております。

しかし、短歌は、ぐにゃぐにゃとテニヲハでつないで、最後の下の句でまったく意外なことを噴出するようにして歌い上げるものですから、上の句の一番最初とほとんど論理的につながってないわけです。

上の句は最後の七文字を言わんがためのものですから、

情が入り過ぎて知が入ってはいけないわけです。むしろ、知が入っては名歌になりにくいところがあるように思います。

それを、知でひとつ宇宙や人生や日常の些事をとらえてみようじゃないかというのが、江戸期に成立した俳句―。(……)

西行は、現実には剛気な人間なのに、短歌を詠むために女性的な印象がどこかつきまといます。その点、俳句で自分を表現した芭蕉はすさまじいばかりに、男性的な印象がありますね。

――山村雄一・司馬遼太郎「国家と人間集団

■ 司馬遼太郎対話選集(7)人間について|司馬遼太郎|文藝春秋|200609月|文庫|ISBN4167663279

★★★

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「文明から離れては生活できんという人間は、文明とともに滅びるかもしれん」。

資本主義がゆきづまった後は、今の文明に中毒していない人間が生き残り、新たな時代を拓いてゆく…。

今西錦司の壮大な未来予測に始まり、犬養道子の民族論、高坂正堯の政治論、山村雄一の宗教論など、人類としての日本人を見つめ将来を想う。

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中見利男■ 首相補佐官―国家プロジェクトに賭けた男たち

20061007syusyouhosanakami

日本という国はつくづく情報のあふれ返った情報鎖国の国だということだ。そのため人々は他人と同じ情報を追求することだけに血道を上げているように思われる。

つまるところ情報源がインターネットやメディアに頼りっぱなしになっているため、真実を追究するジャーナリスティックな考えが国民の間から失われつつあるのではなかろうか。

大事なことは、ニュースに接したとき陰謀論者のように物事の裏ばかり読むのではなく、むしろ表にあらわれていないこともあるのだろうと自分の思考に幅をもたせることである。

国家の重要機密がわずか一分のニュースで語られることはない。五分であろうが十分であろうが同じである。読者の人生を一分に編集したとすればよくわかる。そこには「な

ぜ」がつねに欠落してしまうのだ。(……)

メディアに触れるときはつねに行間か、映像にあらわれていない「なぜ」を念頭に入れておく必要がある。その思考法を維持することが冷静さにつながるし、独裁者の登場を許さない民主主義本来の下地を確固にする要因にもなるのである。

■ 首相補佐官―国家プロジェクトに賭けた男たち|中見利男|日本放送出版協会|200304月|ISBN4140807903

★★★

《キャッチ・コピー》

国を導く明確なビジョンを策定し、実現を推進する陰の主役こそ首相補佐官。戦後政治史の中に秘められた補佐官たちの物語を関係者の証言・資料から丹念に再構築し、その可能性と課題を緊急提言する。

memo

安倍新総理は定員一杯5人の首相補佐官を任命、“お友達”官邸政治をめざす。

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出久根達郎■ 今読めない読みたい本

20061006imayomedekune

電話が鳴った。古書市場に出かけている主人からの、電話であった。

「三島由紀夫が、自殺した。テレビで報じている。三島の著書を、まとめておいてくれ」

早口に、それだけを言って、切った。(……)

店には次々と、三島氏の本を求める客がやってきた。ほとんどが、中年の女性だった。これは当り前の話であって、事件を最初に知ったのは、テレビを見ていた家庭の主婦なのである。(……)

一日で、三島氏の在庫品は、すべて捌けた。閉店した時、私はへとへとに疲れて、一週間分も働いたような気がした。考えてみたら、昼食も夕食も抜いて、夢中で働いていた。(……)

市場から帰ってきた主人に、大得意で、近年稀れに見る売り上げを報告したのである。ところが、「君は商売人にはなれないなあ」と哀れまれてしまったのである。売っては、いけなかったのだ。まとめておけ、と命じられたのである。店に並べてある本を、引っ込めるべきだった。隠しておいて、値上がりを待つ。それが金もうけというものであり、商人根性なのであった。

               「商人根性」

■ 今読めない読みたい本|出久根達郎|ポプラ社|200 03月|ISBN459107627X

★★

《キャッチ・コピー》

大正時代の健康本、戦後まもなくの勤労中学生の手記、わが国最初のクイズ番組の本、若き芥川竜之介の恋話…今の目で読み直すと興味深い古本を紹介しながら、それぞれの時代、風俗に思いを馳せるエッセイ。

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池内紀■ なぜかいい町一泊旅行

20061005nazekaikeuti

となり近所が、「米穀舗 ()のあさや」、「(有)橋本ラヂオ商会」、「かねい呉服店」、「富沢屋畳店」……。どこもきれいな店のつくりで営業中。

三春町

は賢い町づくりをした。目抜きの道路をひろげる際、店を後退させて両側に歩道をたっぷりとり、中心部に大きな無料駐車場を設けた。町角ごとに「ポケットパーク」。

裏手の通りは石畳にしてあって、車をあずけたあと、山裾を歩いてランチを食べたり、カフェで一服したり、寺社巡りができる。町の人が郊外店へ出かけるのではなく、周辺からも町へ買い物にやってくる。そのせいか下駄屋もラヂオ商会も呉服店も健在だ。(……)

その隣りが中央児童館。窓ガラス一面に、同じく手づくりの飾りがあって、「げっしん」

と題した詩がついていた。

つよく おおきく いきる!

それがぼくの けっしんです

でも ときどき

むねのやわらかいところが

なきたくなるのね

…………

なんでかなあ

作者は 「かぶと てつお」、署名がわりにカブト虫の絵。大人の作だろうが、どこか子供の心を失わない人にちがいない。そんな人が児童館にいるのだろう。

――「五万石の殿さま-

三春町

(福島県)」

■ なぜかいい町一泊旅行|池内紀|光文社|2006 06月|新書|ISBN4334033601

★★

《キャッチ・コピー》

旅とエッセイの名手である池内紀が、独自の嗅覚で訪ね歩いた、日本各地の誇り高き、十六の町の旅の記憶。

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斎藤憐■ ジャズで踊ってリキュルで更けて―昭和不良伝・西條八十

20061004jazzsaitho

「世にも類がないように嬉しそうに、こぼれそうにニコニコしている父をみて私はまったく驚いた。『詩人全集』などに自作が出ていてもそれほど関心がないのに、あんな流行歌を喜ぶ父」父の本性は純粋詩人でも仏文学者でもなく、歌謡作りを本望とした人なのであろうか(『父西條八十』)。

そうなのだよ、嫩子さん。あなたのお父上がいなければ、中山晋平は「東京行進曲」を、服部良一は「青い山脈」を、古賀政男は「サーカスの唄」を作れなかった。

森繁久弥は「お山の大将」を、美空ひばりは「越後獅子の唄」を歌えなかった。

戦地で兵士たちが歌ったのは、軍歌じゃなくて、「旅の夜風」「誰か故郷を想わざる」だった。

僕たちは、七月十四日に「巴里の屋根の下」を聞くこともないし、お盆に「東京音頭」も踊れない。

出撃を明日にひかえた特攻隊員たちは「同期の桜」を歌えなかった。

八十が才能を見いださなかったら、野口雨情も金子みすゞも、サトウ・ハチローも詩を残さなかった。

■ ジャズで踊ってリキュルで更けて―昭和不良伝・西條八十|斎藤憐|岩波書店|200410月|ISBN4000234048

★★★

《キャッチ・コピー》

唄を忘れたカナリアが、歌い続けて二千曲―「東京行進曲」「東京音頭」「サーカスの唄」「同期の桜」「青い山脈」「トンコ節」「王将」…

純粋詩と流行歌、フランス文学科教授と株屋。天才か凡俗の巨人か、大きな振幅を描いた西条八十の生涯にからむ五人の男たち―野口雨情、中山晋平、サトウ・ハチロー、古賀政男、服部良一。

名もなき人びとの哀感を歌い、時代と共に泣いた、「唄の伝記」―昭和への鎮魂歌。

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島田雅彦■ 快楽急行

20061003kairakusimada

定年退職して、年金生活に入ると、膨大な時間が手に入る。両親もすでにそのモードに入っているが、生活費の問題より日々の退屈とどう向き合うかが最大の問題となっている。(……)

地元の図書館は朝から老人でいっぱいだそうで、雑誌コーナーのソファに長時間陣取って、新聞、雑誌を隅から隅まで目を通しているらしく、時事問題の事情通が多いらしい。

また、市民体育館や町のフィットネスジムも老人の社交場になっている。(……)

初めは羨ましいとも思ったが、すぐにその老人の健康な生活も日々これ退屈との格闘なのだと気付いた。

老人は退屈とどう戦うべきか、これは今後の文学の課題でもあろう。谷崎潤一郎始め文豪はみなこの間題と誠実に向き合ってきた。私などよりずっと長く書いてきた文豪はいう。書くことがなくなってから、文士になるのだ、と。

その文豪は、電車に乗って都心に出かける時、肌を合わせたいと思う女に何人出会えるかを数えるのだという。なるほど書くことがなくなっても、スケベ爺でいる限りは退屈している暇などないか。

――「老人とジム

■ 快楽急行|島田雅彦|朝日新聞社|200506月|ISBN402250031X

★★★

《キャッチ・コピー》

健康よりも快楽が大事と思いたい。人はなぜ薬よりも毒を好むのか? 

清く貧しく美しい全ての人々に不惑にして惑う文豪が送る目からうろこの快楽追求指南一〇八手。

朝日新聞土曜版「be」大人気連載エッセイ待望の単行本化。

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椎名誠■ どうせ今夜も波の上

20061002douseshiina

以前から気になっていたのだが、日本のちょっと酒落たイタリア系レストランなどにいってスパゲティを注文すると、スプーンとフォークが出てくる。

あたりを見回すとみんなスプーンの上にスパゲティをのせてそのスプーンの上でスパゲティをくるくる回して食っている。

ぼくはまだイタリアに行ったことがないので、ほおー、こういうのが正しいイタリア式のスパゲティの食い方なのか、と思って真似してみたのだがどうも難しい。(……)

不作法かも知れないがやはり右手にフォークだけもってクルクルやるほうが話がはやい。いやクルクル方式よりも、工事現場みたいだけれど、下からフォークですくい上げるフォークリフト式のほうが楽だったりする。

そこでシチリア出身のイタリア系に聞いてみたわけだ。

すると答えは、イタリア人がスプーンの上にスパゲティを置いてクルクルやって食べることなど滅多にない、という返事だった。

「だいいち、そうやるとスプーンの上にフォークの先端が当たってキコキコと金属の音がして嫌でしょう?」

と、イタリア系は言った。本当にそうだよなあ。

――「スパゲティきこきこ問題

■ どうせ今夜も波の上|椎名誠|文藝春秋|200608月|ISBN4163251901

★★

《キャッチ・コピー》

いろんなところをほっつき歩き、そこらにあるものを食いつつ、起きてんだか寝てんだか。本人もよくわからないシーナの日常は健在!

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池澤夏樹/芝田満之■ カイマナヒラの家Hawaiian sketches

20061001kaimanaikezawa

だから、あそこはぼくにとつてはハワイではなく、ハワイイだった。あの島々を呼ぶ本来の言葉のままに、ハワイイだった。

リゾートとショッピングの人たちが行くのがハワイで、波に乗りにぼくが行くのはハワイイ。

今よりもずっと若くて、心の底にたまった絶望の量もずっと少なかったぼくは、たぶん少し気負っていたのだろう。(……)

サーファーはよく波を待つ間にお喋りをする。波のこと天気のことからはじまって、名前を教えあい(彼はロビンと名乗った)、いろいろなことを話す。ほとんど雑談。

その時にぼくが、見るからにロコの、つまり先住民の血の濃い顔をしたロビンに聞いたのだ、なぜハワイの綴りにはiが二つも入っているのかと。

波に浮いてゆっくりと上がったり下がったりしながら、前から気になっていた、でもほんとうはどうでもいいような疑問を口にしたのだ。

「だってここはハワイイだから」

彼はイの音をはっきり二つ並べて発音しながら言った。

■ カイマナヒラの家Hawaiian sketches|池澤夏樹/芝田満之|ホーム社/集英社|200103月|ISBN4834251047

★★

《キャッチ・コピー》

神々の島、ハワイイに魅せられた人々が夢をつむいだ一軒の屋敷。そこに交差した青春を、ほろにがく回想する入魂の掌編小説。海の写真家、芝田満之の至福の映像とが織りなすファンタジーの世界。

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池内紀■ 町角ものがたり

20060930matikadoikeuti

スロヴェニアの首都リュブリャーナは、とてもいい町だ。世界でもっともすてきな首都だろう。人口は二十七万。人間が暮らすのに、ちょうどいい。

都市の大きさや人口を競うなどつまらない。町が一定の規模をこえると、人を困惑させ、迷わせ、疲れさせる。その大きさ、人の多さが暴力となって威嚇してくる。

この点、リュブリャーナは、ぴったり人間の背丈に合っている。城山には小づくりの城、ゆるやかに川が流れ、これをはさんで一方は旧市、他方は新市。川の西にあたる新市には、十九世紀末に流行したアール・ヌーボー様式の建物が軒を並べている。

当時、大地震があって大きな被害を受けた。再建にあたり、市当局は粋な決定をした。新しい町づくりの設計を若い建築家にゆだねた。そのためアール・ヌーボー・スタイルの市街ができた。

以来一世紀がたち、かつての新様式が、いまやまるで夢の建物のような雰囲気をたたえている。

―― 「リュブリャーナの洞窟

■ 町角ものがたり|池内紀|白水社|200409月|ISBN4560049963

★★★

《キャッチ・コピー》

ガイドブックが教えてくれないヨーロッパの小さな“町角”を、ゆったり歩く「池内流」大人のひとり旅。

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青山光二■ 食べない人

20060929tabenaiaoyama

「お節料理を持ってきたんだ。向こうの廊下の脇の食事の場所へ行こう」

「ここで食べたいわ」

「だめだよ。ここは看護婦さんの詰所だ」

納得したらしく、妻は差しのべた私の手に鎚って、腰をのばした。

杏子の脇の下を抱えるようにして、立たせた。手をひいて、硝子扉の方へ歩きだしながら、

「何をブツブツ云ってるんだ」

「やさしい方ですね」

「何だって! 誰がやさしいの」

「あなた、どなたでしたかしら」

「……どなただって」妻の手を曳っぱって、ゆっくりと歩きながら、一瞬、こみあげてきた涙で私の目はくもった。「さぁ、どなたでしたかねぇ」(……)

ナース・ステーションの硝子壁に沿った廊下を妻の手を曳いて歩きながら、妻が可哀想でならなかった。妻と二人で、どこか別の世界へ行きたいと、一瞬、想った。

―― 「雪の大つごもり

■ 食べない人|青山光二|筑摩書房|200605月|ISBN4480814809

★★★

《キャッチ・コピー》

食べる姿を他人に見せなかった織田作之助の妻、食事の記憶をすぐに失くす年老いた妻…。「食」とエロスを瑞々しく描き出す。

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浜崎広■ 雑誌の死に方――“生き物”としての雑誌、その生態学

20060928zaasinohanazaki

明治・大正期の編集者は、雑誌を廃刊する行為は、志なかばの挫折と感じとっていた。〈無念の廃刊〉であった。

それはまた恥の意識を心の奥底にキズとして残させた。自分の力不足を恥じる――とでもいおうか。〈恥の廃刊〉が、以後続いて現れる。

そして戦後になると、廃刊の責任を他に転嫁するような〈言い訳廃刊〉や〈開きなおり廃刊〉が、あちこちでみられるようになる。

読者の無能さ、知性の欠如といった買う側に問題ありといった暴論は別にしても、人員不足や、編集費の切り詰め、時には会社上層部への不満など、うっ積した感情が赤裸々に出て、それが〈言い訳廃刊〉となる場合が多い。

さらに進んで、最近、よくみられるのが、〈無感情の廃刊〉。言い訳もなければ、開きなおりも感じられない、アッケラカンとした廃刊の言葉。(……)

もはや雑誌は“生き物”、“有機物”ではなく、壊れたモノをあっさり捨てるような“無機物”になってしまったのだろうか。

■ 雑誌の死に方――“生き物”としての雑誌、その生態学|浜崎広|出版ニュース社|199803月|ISBN4785200790

★★

《キャッチ・コピー》

雑誌とは、なんだろう? なぜ、突如消えてなくなるのか? 現代の巨大な、この“生き物”の生態を、死に、焦点をあて解剖する注目の書が、いま出た! 雑誌廃刊号追究の記録。

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斎藤美奈子■ 誤読日記

20060926godokusaitou

 消えゆく私小説の伝統はタレント本に継承されていた。

 以前、拙著(『読者は踊る』)の中で書いた一文である。この見解にいまも変更はない。

タレント本というジャンルは「有名人や芸能人が自らの知られざる日常や半生を綴った(語った)本」として、すでに定着しているのではないかと思う。

 芸能ニュースのネタにはなっても、読書人には軽くあしらわれるタレント本。だが、見方を変えれば、そこには積極的な価値も見いだせる。旧来の伝記に代わる本、としての効用である。

いわゆる偉人伝は、戦後日本の読書界、とりわけ小中学生の読書界の花形だった。本当にいた人の話」には、みんな興味をもつのである。

 しかし、時代は移り、野口英世やナイチンゲールに自らを重ね合わせるのは、さすがにむずかしくなってきた。そこでタレント本の登場となる。

■ 誤読日記|斎藤美奈子|朝日新聞社|200507月|ISBN4022500328

★★★

《キャッチ・コピー》

ワイドショー気分で読みまくり全175冊!!ミーハー書評の決定版。

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小粒すずめ■ トゲトゲオーラばあちゃんとの20年戦争

20060925togetogekotubu

母が目を覚まさない。エエッ、何、このまま!

 いや、違った。夕方の五時に目を開けた。一七時間も寝ていた! オムツがぐっしょり濡れている。私は取り替えてやいながら、

「ご飯にしようね」

 と言った。母は、

「あら、さっき、食べたのに」

 と言う。

 どうしよう……食べさせなくていいのだろうか。出せばきっと食べる。(……)

 本当にいいの?

 良くない、という言葉を探してみた。

そんなことをしてはいけない。

どうして?

一 可哀想だから。食べられる能力があるのに、食べさせないのは可哀想。

二 生きているから。生きている者には、食べさせなくてはならない。

三 死んでしまうから。

 ばあちゃん、どうしようか、ばあちゃんが決めて。

 この後、母は水を少し飲み、また寝入った。(……)

 そして、ずっと水だけだった。

 トゲトゲオーラばあちゃんとの20年戦争|小粒すずめ|清流出版|200412月|ISBN486029100X

★★★

《キャッチ・コピー》

母との同居話が持ち上がった。大嫌いな怖い母親。なぜ、私にばかり苦難が降りかかるの?  地獄に思えた介護の日々が母への愛を育んだ!  猛母とその娘、それを取り巻く人々の20年。

memo

 自費出版本と思われる。お涙式介護日記ではなく、笑いながら一気に読ませる。

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中上紀■ アジア熱

20060924ajiyanakagami

どこかしっくりこない地元の人々とのコミュニケーションは、忙しさに駆られて、知らず知らずのうちにわがままで倣慢な「観光客(ツーリスト)」として振舞うようになっていた結果に違いない。

本当は、どんなときでも「旅行者(トラベラー)」としての自分を忘れてはならないのだ。

訪れて通り過ぎていくだけの存在だからこそ、その土地に触れる手には心を込め、残した足跡には責任を持つ、そんな「旅行者」になりたいとあらためて思ったのだった。

            ――「アンコール遺跡の笛の音

 アジア熱|中上紀|太田出版|200405月|ISBN487233843X

《キャッチ・コピー》

アジアを愛してやまなかった父の影響で、アジアはいつも身近なものとしてそこにあった。湧き上がる衝動に突き動かされるように旅をする、極彩色のアジア紀行。

memo

 文章も旅も稚拙だと感じるのは、著者との年齢差のせいか。

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浅田次郎■ 憑神

20060923tukigamiasada

「おまえも、九頭講も、伊勢屋も、神々はみな力がござるが、人間のように輝いてはおらぬ。死ぬることがなければ、命はけっして輝きはせぬのだ。しかし、わしの命にはまだ輝きが足らぬ。

必ず、この残された命を必ず光り輝かせるゆえ、今少し時をくれ。そう長くは要らぬ。せめて半年、いや、三月か四月でよい。どうかわしのわがままを聞いてくやれ」

死神の涙は滂沱と彦四郎の腕を伝った。なにゆえ神が嘆く。それは彦四郎の思い至った結論に、あやまりがないからだった。

人間が全能の神に唯一まさるところがあるとすれば、それは限りある命をおいて他にはあるまい。限りあるゆえに虚しい命を、限りあるからこそ輝かしい命となせば、人間は神を超克する。その真理を聞いて、死神は涙したのにちがいなかった。

■ 憑神|浅田次郎|新潮社|200509月|ISBN4104394025

★★

《キャッチ・コピー》

時は幕末動乱の時代、人に仇なす厄介な神様にとり憑かれた貧乏旗本・彦四郎。窮地に立たされた男の選んだ、武士として人として、真実の生きる道とは。

memo

“小説の職人”浅田次郎を久し振りに読んだが、これはハズレ。

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高島俊男■ お言葉ですが…(9)芭蕉のガールフレンド

20060921basyotakashima

あるかたが、全疑間一挙解決のめざましい新聞切抜きをお送りくださった。〔略〕

切抜きは、毎日新聞(平15531夕刊)長野智子さんの「メディァの手習い スタジオ発」と題するコラムである。長野さんは、TBSラジオの「アクセス」という番組に出ていらっしゃるアナウンサーとのこと。写真がついてます。いかにも聰明そうな美人である。

まず、こうある。

〈… 「こちらケチャップになります」(これからケチャップになるのか)「カレーでよろしかったでしょうか」(何故過去形?)「1000円からお預かりします」(どっからじゃい)といった、いわゆるファミレス敬語に不愉快な思いをしている人も多いだろう。実際、TBSラジオ「アクセス」でこの問題を取り上げたら……〉〔略〕

それで、この大火災の火元が判明した。

〈…するとそこに衝撃的な内部告発電話が入ってきた!

 なんと「約20年前ファミレスが増え始めた頃、某大手R社が接客ビデオを制作した。現在使用されている変な敬語は、全てそのビデオにマニュアル化されていたのだ」というのである。

電話をくださったのは、他ならぬビデオを作った当人。何とその後、そのビデオで敬語を勉強したという店員、そのビデオで店員を教育したというトレーナーからも続々と電話が入り、「アクセス」は実に短時間に、現代社会に蔓延する変な敬語の元凶を暴くに至ったのである。〉

〔略〕

あとからひとこと――

右のR社はリクルート社なのだそうです。あるかたがお知らせくださった。

――「ファミレス敬語はマニュアル敬語

■ お言葉ですが…(9)芭蕉のガールフレンド|高島俊男|文藝春秋|200502月|ISBN4163667504

★★★

《キャッチ・コピー》

日本語には、未婚の女性への対称(相手を呼ぶ言葉)がとぼしい。芥川龍之介、そして芭蕉のケースを例にとって解き明かす表題作や新たに追加された「人名用漢字」問題をはじめ、言葉をめぐる面白エッセイが満載。

memo

 リクルート社といえば、1988年に大疑獄事件を起こし、さらに「情報」と「広告」とを同心円として混同させた企業。そのうえ、日本語文化を改悪した元凶であったとは……。

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川上弘美■ 此処彼処

20060920kokokasikokawakami

その日は、「お母さんづきあい」がうまくゆかなかった日だった。

子供を幼稚園に送ってゆく道すがら、わたしが不用意なことを言って、よその「お母さん」の気を悪くしてしまったのだ。

どうして社会生活においては、どう考えても気が合うはずのない人間同士が、何かしらの必要により、合い寄って共に過ごさなければならない羽目に陥ってしまうんだろう。

生まれてこのかた千回は繰り返したこの疑間を、その日もわたしはしみじみと反芻していた。

近くに寄らなければ、お互い気まずい思いをすることもないのに。

けれどその気まずさを避けて通ることは不可能なのだということを、社会不適応ぎみのわたしでも、よく知っていた。それが、いまいましかった。つまらなかった。悲しかった。

――「246号」

■ 此処彼処|川上弘美|日本経済新聞社|200510月|ISBN4532165377

★★★

《キャッチ・コピー》

近所の川べりからマダガスカルの森まで。いとおしく、懐かしい場所を、のびやかな筆致で辿るエッセイ集。

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江弘毅■「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ

20060919matitekikou

しいて言うと、いろんな人がいていろんなことが起こっている街で、「それはないだろ」ということをしでかして平気でいる人のことを、「いなかもの」という言い方で称したりする。

それは店や人に関わる際に、その場やそこの空気を読むことができなかったりして、

周りにいる人を困惑させたりすることである。人的関係性の中での「情報感度の低い人」がそれに該当するのだろう。〔略〕

けれども、現代の都市システムの根幹をなしている情報化/消費化社会では、「都会的な情報」に疎かったり持たない者が「いなかもの」呼ばわりされるという、非常にねじれたことになっている。〔略〕

そう考えると、どうも人から「いなかもの」だと呼ばれることに怯え、そう言われないために流行や消費に特化した情報を纏うことに粉骨砕身することが、逆に「いなかもの」をつくり出すというスパイラル的な構造を下支えしているように思える。

「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ江弘毅|講談社|200608|新書|ISBN4061498568

★★★

《キャッチ・コピー》

情報に踊らされ消費するだけでは、ごきげんな時間は得られない。街とメディアの現場に身を置き、関西のオトナの街的文化を常にリードしてきた街の雑誌『ミーツ』前編集長が綴る、京阪神街場のたのしみとは?

memo

タイトルにちょっと興味をもっても……。サブタイトルがダメ。引いてしまう。

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寺山修司■ 寺山修司の俳句入門

20060918haikuterayama

便所より青空見えて啄木忌

(「螢雪時代」昭和2811月号・俳句二席入選。中村草田男選)

(選後評)

二席の寺山君。この作者は種々の専門俳誌にも句を投じていて、非常に器用である。感覚にもフレッシュなところがある。

ただ器用貧乏という言葉もあるように、器用にまかせて多作して、肝腎の素質を擦りヘらしてしまってはいけない。

この句には確かに、困窮の庶民生活中にありながら常に希望と解放の時期を求めつづけた啄木に通う気分が備わっている

ただ、それが、観念的にその気分に匹敵する構成素材をさがしあてているような、やや機械的なところがある。

 寺山修司の俳句入門|寺山修司|光文社|200609月|文庫|ISBN4334741282

★★★

《キャッチ・コピー》

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹―寺山修司の出発点は俳句である。

高校時代より、後の広汎な表現活動の萌芽を感じさせる完成度の高い作品を作った。

本書は、単行本初収録作品を含む寺山の俳句についての「文章」「発言」を網羅したはじめての画期的な試みである。

memo

 寺山修司の代表句。高校時代の作、しかも受験雑誌「蛍雪時代」に投稿し、中村草田男によって選ばれ、掲載されたものだったとは……。

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丸谷才一■ 綾とりで天の川

20060917ayatorimaruya

海舟に言はせると、織田信長は経済の才があつたから天下を取つたのだし、武田信玄も甲州の砂金を掘り出したから武将として成功した。南朝が北朝に敗れたのも、北朝の細川頼之の経済政策が巧みだつたせいと言ふ。〔略〕

愉快なのは海舟の芭蕉論。

海舟いはく、近江商人が金儲けがうまいのは芭蕉の遺訓に従つてゐるから、なんですつて本当かね。私には信じ難いけれど。

しかしこの説を聞いた後で、

行く春を近江の人と惜しみける

を思い出すと、ほんの少し色調の違ふ句のやうに感じられるから不思議。

――「批評家としての勝海舟

■ 綾とりで天の川|丸谷才一|文藝春秋|200505月|ISBN416367070X

★★★

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「福沢諭吉がミイラになった!」という驚くべき事実から、野球ファンもそうでない人も抱腹絶倒の「野球いろは歌留多」まで、頭を刺激し心を豊かにするエッセイ集。

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丸谷才一■ 猫のつもりが虎

20060916nekonomaruya

日本の富豪のことは、もうすこし別の角度から擁護することができる。よく言はれてゐるやうに、印象派は日本の浮世絵および日本美術の刺戟によつて生れた流派だった。〔略〕

だから、印象派以後の絵画が身にしみてよくわかるのである。本当にいいと思つて、しかも金があれば、買はうとするのはごく自然なことではないか。

それに名画の持主となれば、のちにそれを美術館に寄付することによつて、自分の名声を不朽のものにすることができる。宗教が衰へた今日、人間が永世に生きる手として、これは恰好のものではないか。

酒の席で、わたしがこんなふうに論ずると、劇作家の山崎正和さんが、別にその説に反対するわけではないがと断つた上で、

「でも、日本の金持は、音楽や芝居には冷たいね。ちつとも金を出さうとしない。あれはやはり、美術なら、さんざん楽しんだ上でしかも物がそつくり残るからでせうね」

と言つた。

さう言へば、茶道なんてのは、掛軸も、茶碗も、そつくり残る。消えるのはお茶と菓子だけである。実業家の遊びにふさはしい。

――「絵を買ふ

■ 猫のつもりが虎|丸谷才一|マガジンハウス|200406月|ISBN4838715153

★★★

《キャッチ・コピー》

ズボンとベルトの歴史的背景を論じ、スカートをはいた男の性的放縦に驚く。モスクワの冬のアイスクリームの甘さをうらやみ、テニスの“ラヴ”と“love”の関係を研究し、そしてグレタ・ガルボの足の大きさについて語る。知的好奇心に溢れた「話の種」が満載。

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佐藤まさあき■「劇画の星」をめざして

20060914gekiganosatou

やがて山森は劇画を描くことをやめて京都の西陣の染物師となる。元美津はしばらく休筆の後、さいとうプロの原作者として復活する。桜井は自称、日本一ちいさな出版社の「東考社」を設立し、水木しげると組んで売れない本を四苦八苦しながらも出版を続けていく。石川はその後、肺結核になり、療養中にさいとうから恩を受け、その後はさいとうプロの陰の力となって『ゴルゴー13』などの作品の制作に力を貸す。本来律儀な性格の人なのである。

ともあれ、こうして劇画工房は消滅した。〔略〕

つげ義春なんかは「劇画がヒタヒタと大阪からやってきた」というような名言を吐いているし、手塚先生の『ボクはマンガ家』という著書にも、先生のアシスタントが貸本屋で本を借りてきて全員が読みだして、「面白いか?」と聞くと、「面白い」と答えるので、先生はノイローゼになり、階段から足を踏みはずして転げ落ちる、というようなことも書かれてあった。

たった八カ月であったが、衝撃度はそれを上まわるくらい劇画工房は暴れまわったのだ。

「劇画の星」をめざして――誰も書かなかった〈劇画内幕史〉|佐藤まさあき|文藝春秋|199610月|ISBN4163523200

★★★★

《キャッチ・コピー》

波瀾万丈、有為転変、まさに劇画並み。赤裸々に綴る自伝的劇画界の50年。

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小林信彦■ うらなり

20060913uranarikobayashi

ぼくが研究書『漱石作品論集成第二巻』(桜楓社)をとりよせたのは、その中の有光隆司氏の「『坊つちやん』の構造――悲劇の方法について」という短い論文を読むためであった。〔略〕

ごく大ざっぱにまとめれば、有光氏は、『坊っちゃん』という作品の語り手である男は、しばしばいわれるように〈挫折〉も〈敗北〉もしていないと言う。男の役割は、教頭、古賀、堀田、遠山令嬢(マドンナ)の間の緊迫した状態を、読者の前に提示するだけである。〔略〕

そして、有光氏は次のように結論づける。

『坊つちやん』という作品は、その深部において悲劇として読まれることを望んでいるのである。……あるいは『坊つちやん』とは、喜劇を演じる男の向こう側に、悲劇役者たちの世界が透けてみえる、そのような仕掛けを内包した作品なのだ、といってもよかろう。〉

この奥深い小論文が書かれたのは一九八二年であり、七〇年代から八〇年代にかけての『坊っちゃん』評価の一頂点といえるかも知れない。

――「創作ノート

■ うらなり|小林信彦|文藝春秋|200606月|ISBN/4163249508

★★★

《キャッチ・コピー》

『坊っちゃん』から100年、“うらなり”が見た人生の真実。

明治、大正、昭和を生きたひとりの知識人の肖像を卓抜な着想と滋味あふれる文章で描き出した著者渾身の小さな大傑作。

memo

小説「うらなり」とエッセイ「創作ノート」を収録。やっぱり小林信彦は小説よりもエッセイの方が格段に面白い。

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門田隆将■ 裁判官が日本を滅ぼす

20060912saibannkannakadota

かつて司法修習をする法律家の卵たちに諳んじられていたこんな歌があった。

秋の夜をひたすら学ぶ六法に恋という字は見いでざりけり

青春のすべてを擲って六法全書と格闘する法律家の卵たちの思いが詠まれた戯れ歌である。そしてこれには、こんな返歌が存在する。

民法典七〇九条に故意という文字のありけり嬉しくもあるかな

“恋”と、民法における「故意又は過失」の“故意”をかけたユーモラスな返歌であ

る。しかし、この返歌には、いかに自分たちが無味乾燥な世界に生き、浮世離れしているかが思わず吐露されている。

いまだに語りつがれているこの歌には、法律家たちのエリート意識と、微妙なコンプレックスが見事に現れているとは言えないだろうか。

■ 裁判官が日本を滅ぼす|門田隆将|新潮社|200511月|文庫|ISBN4101231419

★★★

《キャッチ・コピー》

極悪非道の強姦殺人魔を無罪とし、悲惨な再犯を招いた支離滅裂の判決。

鑑定の虚偽を見抜けぬ思考停止した裁判官。

元役員の正義の内部告発を罰した裁判官。

陰惨な集団リンチによる殺人事件の、事件自体の存在をも否定した裁判官…。

各個の事情を顧みぬ判例主義、相場主義、無罪病、欠落した市民感覚、正義感の欠落、倣岸不遜。緻密な取材で、司法を斬る渾身の告発ノンフィクション。

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北尾トロ■ 裁判長!ここは懲役4年でどうすか

20060911saibankitao

「被告人は無罪です!」

弁護人の言葉に、ぼくは傍聴席で笑ってしまった。まさか無罪を主張するとは思ってもみなかったのである。

被告の容疑はコンビニ強盗。店員に果物ナイフを突きつけて奪った金が千円札46枚。逃げようとして店長に捕まり、38枚をワシづかみにして戻し「返したからこれでいいだろ」と開き直って立ち去ったが心臓はバクバク。〔略〕

悪いのは被告である。検察が話をしている間、居眠りしていたのだ。これだけでもヤル気あんのかと突っ込みたくなるのに、顔がなあ。どう見ても無罪に見えんのだ。顔が有罪。

いやそれは言い過ぎとしても、眼光ニブく覇気がなく短気そうで何も考えてなさそうっていう四拍子揃いぶみは、コンビニ襲って千円札を奪うスケール感のなきに直結する。本当のところどうなのかはわからないが、顔にドラマがない被告じゃ応援したくならないもんだ。

人生のピンチだろ。不利をハネ返して無罪を勝ち取りたいんだろ。だったらもっと味を出せよ。

――「第4幕 被告の顔にドラマはあるか

■ 裁判長!ここは懲役4年でどうすか|北尾トロ|文藝春秋|200607月|文庫|ISBN4167679965

★★★

《キャッチ・コピー》

ワイドショーも小説もぶっとぶほどリアルで面白いのがナマの裁判だ。しかもタダで誰でも傍聴できる。

殺人、DV、詐欺、強姦。突っ込みどころ満載の弁明や、外見からは想像できない性癖、傍聴席の女子高生にハッスルする裁判官。

「こいつ、絶対やってるよ!」と心の中で叫びつつ足繁く通った傑作裁判傍聴記。

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坪内祐三■ 後ろ向きで前へ進む

20060910usiromukitubouti

植草さん、金子光晴、稲垣足穂、あるいは深沢七郎が「日の丸」や「君が代」のことを聞かれたら、どういうふうに答えるか。

彼らは単なるナショナリスト的には答えないだろうし、だからといっていわゆるただの左翼的なかたちの批判の言説も吐かないでしょう。そういう人たちが、今いなくなってしまったでしょう。

野坂昭如さんはそういうところがあるけれども、そういうものを語らせるとつまらない意味で左翼っぼくなってしまう。

今、辛うじてそういう可能性があるのは、田中小実昌さんぐらいではないですか。その手のおじいさんが何人もいれば、特に若い人にとって心の救いになるのではないか。

小林信彦も、ある時までは植草さんに似ていたわけだけれども、「日の丸」や「君が代」ということになると、まじめに答えてしまうでしょうし。

ちゃかせばいいということではないですが、植草さんや金子光晴、稲垣足穂、深沢七郎、富士正晴といった感じの人たちが今の六十代、七十代の人にいなくなってしまったのは、少し残念です。

――「植草甚一的なるものをめぐって

■ 後ろ向きで前へ進む|坪内祐三|晶文社|200208月|ISBN4794965400

★★★

《キャッチ・コピー》

1979私は21歳だった。この夏、銀座で「植草甚一」展が開かれていた。旅行先のホテルのナプキンや電車の切符といった、いままで展示品にならなかったものが並んでいた。不思議な感じがした。

一篇の小説にも出会った。雑誌『群像』に掲載された「風の歌を聴け」。自分たちの言葉を見つけたと思った。批評集『表層批評宣言』をリアルタイムの新刊で手にしたのも、この年だった。

時代が大きく変わろうとしていることを、体感した。思想、教養、ライフスタイルの転換期のようだった。1979年とは、何であったのか。今、何であるのか。時代の深層を深く静かに読み取っていく注目の評論集。

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坪内祐三■ まぼろしの大阪

20060909maborosinotubouti

谷沢 大阪は住友の物でしたからな。(住友は)自分の田に水引いて、いろんな物を造った。天王寺の(

大阪市

立)美術館も全部住友の寄付。大阪城、あれは全市民の浄財によると言われているけど、本当は、かなり住友が金を出した。だから、大阪は住友の庭なんです。〔略

大阪城の話が出たので、その話をちょっとするとね、あれがあそこにあるということは、大変な意味があるんですよ。あの土地は、陸軍の第四師団のものだったんです。当時の陸軍っていうのはね、今の日本では考えられんぐらいごっつい力を持っていて。

それをうしろへ押しやって、ひっこんどれ―と言うて、城を再建した。関一市長の見事な悪知恵。「昭和天皇の御大典記念に城を再建したい、ついては下がってくれ」と。これは陸軍、どないも言われへん。もの凄い知恵者やね、関さんは。

坪内 かなり凄い人ですね。

谷沢 関さんについての本はいろいろありますけども、そのことを書いた本はひとつ

もない。秘中の秘ですからね。天下の陸軍が尻尾巻いてうしろへ下がったとは。

         ――対談 谷沢永一・坪内祐三

■ まぼろしの大阪|坪内祐三|ぴあ|200410月|ISBN4835609638

★★★

《キャッチ・コピー》

東京より大阪のことが好きになってしまうかも知れないエッセイ集。『ぴあ関西版』連載に書下ろしを加え単行本化。

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小林信彦■ 昭和のまぼろし――本音を申せば

20060908syuwanokobayashi

小泉首相を評して、ナルシンズムとサディズムのかたまりという批判がある。それはその通りなのだが、要するに〈幼児性〉の発露ではないか。

鏡を眺めて、おのれの姿にウットリする。ホメられると喜ぶが、少しでもケナされると、ネチネチと恨む。弱い者を徹底的にいじめ抜く。これが幼児性。〔略〕

小泉首相は六十を過ぎて、幼児性を保っているレアケースで、オペラを観ても、相撲を観ても、感想は「感動した!」で、実に単純、わかり易い。

若い人たちの中には幼児性の強い人が多く(「おたく」がその一例)、首相の幼児性が彼らの中で屈折している幼児性を魅了した。〔略〕

〈郵政改革に賛成かどうか?〉

〈この小泉を支持してくれるか?〉

実にわかり易いワンフレーズである。これをくりかえされると、若者は洗脳されてしまう。それはファシズムではないかといわれれば、そうだとぼくは答える。

右傾化ではないか、という問いに、知人の右翼が困っているとコメントする人がいた。これは右傾化ではないフアツショ化であると。

――「幼児性の台風

■ 昭和のまぼろし――本音を申せば|小林信彦|文藝春秋|200604月|ISBN4163680705

★★★

《キャッチ・コピー》

なぜ「昭和の風景」がわれわれをひきつけるのか。街が変わり、ひとが変わり、時代が変わる。昭和とはどんな時代だったのか。「週刊文春」好評連載エッセイ最新刊。

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横溝正史/新保博久■ 横溝正史自伝的随筆集

20060907uokomizoyokomizo

明治42年東川崎尋常小学校へ入学して、市ちゃんこと

伊勢市

太郎と、ヨッコンこと私がライバルにして親友になったということは、まえにも書いておいたと思うが、小学校時代6年間を通じて、市ちゃんと私はじっさい仲好しだった。なにをするにもふたり一緒だった。〔略〕

「市ちゃん、止めとけ。吃音はうつるちゅうさかい、うかうかしてるとあんたほんとに吃音者になるぜえ」

私の警告は杞憂ではなかった。市ちゃんはほんとに吃音者になってしまったのである。

但し、市ちゃんの吃音は本物だったわけではなく、緊張したり興奮したりすると、最初の発音がうまくできないのである。ことに力行がひどかった。

私が金田一耕助を吃音者に仕立てたのも、この懐かしき少年時代の、いちばん仲よしだった友人の印象を、どこかにとどめておきたかったからにほかならない。金田一耕助が愛すべき吃音者であるとおなじように、市ちゃんもまた愛すべき吃音者であった。

――「続・書かでもの記

■ 横溝正史自伝的随筆集|横溝正史・新保博久|角川書店|200205月|ISBN404883746X

★★★

《キャッチ・コピー》

横溝正史―名探偵・金田一耕助を生み出した男。友人の影響で本格探偵小説を読み始めた少年は、家業を継ぎ、薬屋の主人として一生を終えるはずだった。だが、江戸川乱歩と出逢ってから、彼の人生は変わりはじめる―。激動の時代を生きた天才小説家が自ら綴る一生涯。

memo

「明治末から大正初期の神戸のある特定地域(*

川崎町

)ながら、これほど卓越した記憶力で精緻に風俗を記した文献はほとんど類がないだろう」(「正史もまた永遠にして不滅である」新保博久=同書に収録)

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海野弘■ 海野弘 本を旅する

20060906honwounno

単純に言ってしまうと、昔は推理小説を筋ヘの興味で読んでいたのであるが、このごろは情景が面白くなってきた。登場人物がなにを着たり食べたりしているかとか、街の光景はどのようなふうかといったことである。〔略〕

都市について考えはじめた時から、本の中でも風景が面白くなってきたのかもしれない。筋だけでなくディテイルが気になりだしたのである。同じ本が、まったくちがったふうに読めることがわかった。

たとえば、ひさしぶりにチェスタトンのブラウン神父のシリーズ5冊を読み直す機会があった。昔読んだ時は、トリックとか逆説といったものが面白かった。

しかし今読んでみると、1910年代から、20年代、30年代の都市風俗が実に豊富に書き込まれているのである。カフェ、レストラン、ホテルといったものも、その変わりつつある姿が細かく記述されている。

さらに、20年代に急激に発達するジャーナリズムに対して、その虚偽性を鋭く批判しているのである。ブラウン神父のミステリーがマスコミ論として読めるのにはおどろきであった。

――「遊歩者の読書術

■ 海野弘 本を旅する|海野弘|ポプラ社|200604月|ISBN4591092283

★★

《キャッチ・コピー》

本の中を歩き回って旅し、世界を本のように読みたい―。博覧強記の著者が初めてあかす、読書遍歴。

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高杉治男■ 赤筆記者走る――新聞の裏舞台から見た戦後史

20060905akahudetakasugi

高杉孝二郎西部本社編集局長は、すでに降伏決定を知っていた。そして、それが動かぬものと知るや、ただちに辞任を申し出るとともに毎日新聞の廃刊を社長に進言した。

戦争を謳歌し、扇動した大新聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪しなければならない、というのがその理由である。                           

本社は解散し、毎日新聞は廃刊、それが不可ならば重役ならびに最高幹部は即時退陣すべき、という案も添えた。〔略〕

「一五日の勅語と必要な告示以外はいっさい掲載しない」

こう高杉局長に進言したのは山路貞三整理部長であった。

きのうまで、焦土決戦を叫び続けた紙面を同じ編集者の手で一八〇度大転換させることは良心が許さない〔略〕

その第一面に終戦の詔勅、公的機関の発表と事実の推移だけを扱った。これだけでは一面全部を埋めることはできず、最終段の半分は白になってしまった。二面(裏面)は一行も入らず白紙のまま発行された。これが一六日付の新聞である。〔略〕

実に五日間、異常な“白紙新聞”が発行された。

■ 赤筆記者走る――新聞の裏舞台から見た戦後史|高杉治男|時空出版|2001 05月|ISBN488267033X

★★

《キャッチ・コピー》

整理記者たちは“赤筆”と呼ばれ、日々、時間との戦いを繰り返す。戦後のビッグニュースはいかに報じられたか? 知られざる新聞の裏舞台を初めて明かす。――その時こうして新聞はつくられた。

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清水哲男■ 増殖する俳句歳時記――日本語の豊かさを日々発見する

20060904zousyokusimizu

んの字に膝抱く秋の女かな   小沢信男

たしかに「んの字」の形をしている。「女」は、少女に近い年齢だろう。まだあどけなさを残した「女」が物思いにふけつている様子だから、その姿に「秋」を感じるのだ。

「んの字」そのものが、相対的に見ると、独立した(成熟した)言語としての働きを持たないので、なおさらである。

爽やかさと寂しさが同居しているような、秋にぴったりの風情。からっとして、ちょっぴり切ない風が、読者に吹いてくる。

佐藤春夫の詩の一節に「泣きぬれた秋の女を/時雨だとわたしは思ふ」(表記不正確) があり、同じ「秋の女」でも、こちらには成人した女性を感じさせられる。時雨のように、この「女」はしめっぽい。そして、色っぽい。

ついでに、私がそらんじている「女」の句に、島将五の「晩涼やチャックで開く女の背」がある。

■ 増殖する俳句歳時記――日本語の豊かさを日々発見する|清水哲男|ナナコーポレートコミュニケーション|200208月|ISBN4901491075

★★★★

《キャッチ・コピー》

インターネットで120万超ヒットの人気サイトが、一冊の本になった。通称“ゾーハイ”は、俳句とインターネットに親しむ人には、すでに常識だ。6年にわたって大好評だった名物解説を、厳選して一日一句、1年(366句)にまとめた。

memo

増殖する俳句歳時記

http://zouhai.com/

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浅暮三文■ 実験小説 ぬ

20060903jikkennasagure

まず、読者にそれを述べておきたいと思う。ここまで本書を読んできたならば、お分かりだろう。この本にあとがきなどは似合わないのだ〔略〕

それではこれはなにかと、あなたは問うだろう。すると次のような小文が始まる。

実験小説 ぬ 浅暮三文

今、あなたは書店で「ぬ」という本を手にとっている。そのタイトルは、見つめていると文字に思えなくなってくる。なんだろうか。頭がぼんやりする。のぼせたのか眠気が強くなる。あなたは財布を出したくて仕方ない。ほら、レジが呼んでいる。ほ、欲しい。この本が。

あなたはあわてて目をしぼたたかせると顔を上げた。そしてやっと確信する。これがあとがきではないことを。そうなのだ。これはあとがきの振りをしつつ、表題作を含んでいるのだ。

――「これはあとがきではない

■ 実験小説 ぬ|浅暮三文|光文社|200507月|文庫|ISBN4334739113

★★★

《キャッチ・コピー》

奇想天外、空前絶後の企みに満ちた作品の数々。読む者を目も眩む異世界へと引きずり込む、魔術的傑作27編。

memo

交通標識で見慣れたあの男の秘められた私生活とは? 「帽子の男」必読!

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奈良本辰也■ 葉隠―武士道の神髄

20060902hagakurenaramoto

常朝も、

「さすがは陣基どのじゃ。見ん事書かれちょりますたい。“常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり*“ これが眼目でござるよ」

世間では、貴方さまの議論を、ただ死ね死ねというちょるごと受け取る者もあるようですが、これは大きな思い違いでございまするから

「ばってん、こん言葉だけじやなかと。他人の行いの批評もしちょるし、お政治向きにかかわることもある。これは世に出ると、彼方此方で物議をかもすことになるのう」

「はあ、身共もそのように思うちょります。これを、このまま世に出す気持はござりませぬ。ただ、身共の家に深く秘して、家の宝とのみ致したき所存でござります」

「そいつを聞いて、安心ば致し申した」〔略〕

七年、よくも話しつづけ、また通いつめたものである。いや、書き溜めたものだと言った方が良いかも知れぬ。常朝と陣基は、その部厚い十一の冊子を前にして感無量であった。

  

■ 葉隠―武士道の神髄|奈良本辰也|徳間書店|200601月|文庫|ISBN4198923639

★★★

《キャッチ・コピー》

『葉隠』は、私にとって誠に不思議な本だった……私はそこに「美と狂の思想」を発見したのである。それは同時に「人間の美学」でもあった(あとがきより)。近世思想史家の第一人者である著者が、小説という形で武士道の名著に挑んだ傑作長篇。

memo

“いつも死に身になっているときは、武士道とわが身は一つになり、一生失敗を犯すことなく職務を遂行することができるのだ*”(奈良基辰也・駒敏郎訳)

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佐藤優■ 国家の崩壊

20060901houkaisathou

ソ連共産党中央委員会は、あの巨大帝国の最高頭脳が集まった場所だった。有能な官僚たちが一所懸命仕事をしていても、国家は崩壊するのである。

核兵器をもつた巨大な軍隊も、社会全体に張り巡らした秘密警察の情報網も、幼少から叩き込んだマルクス・レーニン主義に基づくイデオロギー教育も、ソ連国家の崩壊を防ぐことはできなかった。

ソ連が嘘で塗り固められたロクでもない国家であつたということは間違いない。しかし、国家の崩壊によって、ロシア人、ウクライナ人、リトアニア人、アゼルバイジャン人など、ソ連領域で生活していた一人ひとりの悲惨な物語を目の当たりにして、私は国家は悪であるが必要だとの確信を抱くようになった。

私はこのときから国家主義者になったのである。

■ 国家の崩壊|佐藤優|にんげん出版|200603月|ISBN4931344119

★★★

《キャッチ・コピー》

日本の国幹が腐敗し、融解を始めている。ゴルバチョフの政治的思考と手法は小泉と同じ。ソ連の結末は日本の結末か―。ソ連崩壊を内側から見た佐藤優に、宮崎学が聞く!

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■ 「青春と読書」

20060831seisyunntodokusyo

こうして他愛のない日々の情景を、これまで多くの物語に作り替えてきた。

お世話になっている腕の良い楽器職人は、詐欺師となって登場し、たまたま三十年ぶりに再会した中学の同級生は、謎めいたイケメンに昇格し、あろうことか人妻相手に濡れ場を演じさせられる。

本人が知ったら怒るだろう。たぶん。

小説家というのは、職業ではなく病気の状態を指す。

他の文筆業との決定的な違いは、物事に出会ったときに、もう一つの宇宙で、もう一つの現実が勝手に動き始めることだろう。

ストーリーテリングは才能でも、技術でもなく、症状に過ぎない。

         ―― 篠田節子「小説家と言う病気」

■ 「青春と読書」集英社の読書情報誌・20069月号

memo

 夏休みも今日で終わり。で、本日は趣向を変え集英社のPR誌から選んだ「お気に入りにフレーズ」4篇。

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金井美恵子■ 「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ

20060830kyousoukanai

気をとり直して、何か新刊本を読むことにして、とりあえず本を買って来るのですが、日本の最近出版された純文学系の小説について言えば、善し悪しや出来不出来は別にして、こちらの関心事と重なりあう内容の物がないのです。

人間の「弱さ」と「崩れやすさ」からの回復と「癒し」が主題なのであろう大江健三郎の新作は、村上春樹の小説がそうであるように、こちらとのおぞましいまでの「ズレ」が拡大されるだけで、苛立つばかりというありさまです。

二十何年か前の十代の後半だった六〇年代、まだ、小説を書くことが出来る、と信じていたのは不思議な気がします。

むろん、私は今でも小説を書いてはいるのですが、若かったせいで、こんなにそれが急速に力と読者と新しい書き手を失ってしまう分野だとは思っていなかった頃にくらべてみれば、それでも多少、考え方なり技術なりは深まったというか上達したという自負は持っているにもかかわらず、そもそもが「弱者」である小説なのですからなんとなく、疲れた気分になりもするのです。

疲れが溜まる

■ 「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ|金井美恵子|講談社|200311月|ISBN4062120771

★★

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辛辣なユーモアと深い愛をこめて小説、映画、日常の細部を語る過激な豊かさと魅惑にみちた金井美恵子の世界へようこそ。

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倉橋由美子■ 老人のための残酷童話

20060829roujinnnokurahashi

「下界で伝えられている物語によれば、あなたも牽牛も年に一度のこの逢瀬に燃えながら天の川を渡って恋人の胸に飛びこむ……」

人間たちが空想して作る物語とは大体そういうものでしょうね」と織女は他人事のように言いました。

「それは違うということが私にもわかってきました。あなたは恋とか愛といったものに動かされる人ではない。それでも年に一度、かならず牽牛に会いに出かけたのは、それが天界の行事だからでしょう」

「あの人を愛しているのに一年に一度しか会えない、というのではなくて、一年に一度会うことになっているので、鵲(かささぎ)の橋を渡って会いに行くのです。愛しているからであるかのように」と織女は言いました。

「かのように、ですか」

――「天の川」

■ 老人のための残酷童話|倉橋由美子|講談社|200309月|ISBN4062117541

★★★★

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遂に刊行!20年後の「残酷童話」!!

ロングセラー『大人のための残酷童話』から20年。情け容赦なく描かれる人間の底なしの欲望と罪深さ。一流の文体で紡がれる惨烈な童話の数々をお楽しみください。

現代文学最高の語り部・倉橋由美子が贈る10篇の物語。

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倉橋由美子■ あたりまえのこと

20060828atarimaekurahashi

……文章を読んで時間の経つのを忘れるのと、音楽を聴いて時間の経つのを忘れるのとは、一方が目を、一方が耳を使うのが違うだけで、互いによく似たところがあります。

脳のある部分が(場所は違うでしょうけれども)快く働いて喜んでいる状態が似ている、ということかもしれません。この快感を覚えることで小説を読むことが楽しくなります。

さらには、小説に限らず、「音楽」が聞こえてくるような文章を読めば同じ快感が得られることがわかれば、あとはそんな上質の文章を見つけて読むことが楽しみになります。〔略〕

読んで楽しめるのは小説だけではありません。小説を読む楽しみは、文章を読む楽しみの中では初級のものに属するというべきでしょう。

年をとるにつれて楽しめる小説が少なくなったとしても、それ以外のもっと面白い文章はそれこそ無限にあると思えば楽しくなろうというものです。

                   「小説の読み方」

■ あたりまえのこと|倉橋由美子|朝日新聞社|200111月|ISBN4022576790

★★★★

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小説を楽しむためには、どうしたらいいのだろう? 古今東西の作品のエッセンスを巧みに取り出して、心ゆくまで楽しみながら本を読むためのヒントを紹介。小説論ノート&小説を楽しむための小説読本。

 

memo

「残された飛行時間は予測不能、恐らくはいくばくもないと思われる以上、小説以外の文章を書くことも発表することも、これをもって最後にいたします」(あとがき)

20056月、死去。「パルタイ」「スミヤキストQの冒険」「大人のための残酷童話」

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堀江敏幸■ 回送電車

20060827kaisouhorie

以前、小著のなかで、私はムーミン・シリーズに登場する放浪の詩人、スナフキンヘの憧憬をつづった。

定住を嫌い、人に媚びることを嫌い、それでいてムーミン谷の仲間から慕われるスナフキンのような存在に、どうしたらなれるのか。ながいあいだ、私は『スナフキンの思想』と題する本を書きたいと夢見ていた。〔略〕

しかしその後、関連書をあさっているうち、ヤンソンの原作ではスナフキンという名が存在しないと教えられて、私は愕然とした。あの奇妙に心地よい音は、英訳からの転用だったのだ。〔略〕

ちなみに、仏語訳でのスナフキンは、ルナクレリカン。筋も挿絵もおなじなのに、これではべつの物語を読んでいるようだ。スナフキンがスナフキンと呼ばれているからこそ、私は彼を愛したのだろう。

「猫のいる風景」

■ 回送電車|堀江敏幸|中央公論新社|200105月|ISBN4120031454

★★

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「あらゆる既成概念からの自由」を保ちつつ、言葉というもの、文学というものについて、犀利な批評家精神と深い愛情を持って語る。

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半藤一利■ 清張さんと司馬さん

20060826seityouhanndou

酒席でときに歌が出ます。菜の花が好きだから、ということで私が歌うんです、″菜野花畑ェに……″。と、それは何の歌か? と司馬さんが聞く。小学校唱歌ですよ、司馬さんとは七つ違いだから、小学校で習ったはずなんですが。

それではもう一つというので、″甍(いらか)の波と雲の波……″という鯉のぼりの歌。これもご存じない。びっくりして、司馬さんは小学校にいってないんじゃないですか、と聞きますと「まあ、それに近いのだ」という。

すなわち、学校教育というものが嫌いであった。皆がずらりと並んで同じことを聞き、覚えて、同じ答えを出す。そういうことが大嫌いであったと。〔略〕

その点は、高等小学校しか出ていない清張さんと、あるいは似たり寄ったりであるのかも知れません。独創的に自分の境地を切り拓いていった人というのは、なんでも一緒の平均的な教育とは別のところで自分の世界をもっていた。

■ 清張さんと司馬さん|半藤一利|日本放送出版協会|200210月|ISBN4140807199

★★★

《キャッチ・コピー》

数多の名作で、昭和史そして戦後社会のあり方に立ち向かった二人の巨人、松本清張と司馬遼太郎。編集者として間近に接した著者が語る文豪の等身大の実像。

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豊崎由美■ そんなに読んで、どうするの?――縦横無尽のブックガイド

20060825sonnanitoyozaki

「面白い!」を出発点に始まった読書人生だけれど、小説には「面白い!」以外にも美点があるなあ、と。〔略〕

……ちっぽけな存在のくせして、「オレが」「あたしが」と自分のことばかり考えてる。そんな何かと窮屈な“わたし”が、でも、本を読んでいる時だけは自分の檻から解き放たれるんです。

自分じゃない誰かに心を寄り添わせたり、此処じゃない何処かを主人公と一緒に旅したり、とてつもない幸福と冗談のきかない不幸を味わったりする。

想像力によって、わたしがわたしのくびきから放たれ、自分ではない誰かや、此処ではない何処かに共感という輪を広げていく。それが読書の醍醐味ではないでしょうか。〔略〕

人間を非・理解の不幸なループから救うのは、想像力です。そして本を読むという行為は、想像力を培うのにもっとも有効な手だてなのです。

「そんなに読んで、どうするの?」

今度訊かれたら、こう答えたいと思います。

「想像力っていう、強いチカラを身につけんの」

■ そんなに読んで、どうするの?――縦横無尽のブックガイド|豊崎由美|アスペクト|200512月|ISBN4757211961

★★★

《キャッチ・コピー》

闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!

純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、

1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!

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北村薫■ 語り女たち|北村薫

20060824katarimekitamura

すると、彼女は答えたのです。

――聞くつもりのない人にも聞こえてしまうのが、音楽だと思うんです。

どういうことかと、重ねて聞きました。

――絵だと、向こうを向いている人には見えません。でも、音楽は違う。向こうを向いている人の耳にも入るんです。もともとは、大空の下、野原で叫んだりしたのが歌の始まりかも知れません。

野原で歌えば、川の音も、牛の鳴き声も、みんな、一緒に聞こえたことでしよう。それが、その場にいる、ということなんですね。

その頃にはヘッドフォンなんてなかった。音は、誰かが一人じめ出来るものじゃなかったんです。〔略〕

空気は生きてる人間には、平等に吸える。一万倍の金持ちだって、一度に一万倍吸って吐くわけにはいきません。その空気の揺れが音楽なんです。〔略〕

勿論、聞こうともしなかった人の心の片隅に、わたしの歌のかけらが、どんな形ででも残ったとしたら、これは泣いちゃうぐらい素晴らしいことですけれど。――ね?

海の上のボサノヴァ

■ 語り女たち|

北村

|新潮社|200404月|ISBN4104066052

★★★

《キャッチ・コピー》

微熱をはらむその声に聴き入るうちに、からだごと異空間へ運ばれてしまう17話。色とりどりの、“謎”のものがたり。

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南伸坊■ 赤と黒

20060823akaminami

おうおうにして嘘は赤く、噂は黒くなりがちです。しかし、はたして嘘に色などついていただろうか? 一体、嘘のどのあたりが赤いのか? という当然の疑問というのが、湧いてくると思います。こんな時には、まずあともどりをして考えてみよう。

赤い嘘という表現はいままで、どんなシチュエーションで使われてきただろう? 左様、真ッ赤な嘘とはつまり明白な嘘という意味だった。このことによって、我々は赤とはつまり白なのだった。という意外な事実に直面したワケです。

「赤は白である」とこれはしかし、「真ッ赤な嘘」なんかではなく、「明白な事実」なのだった。

アメリカのB・バーリンとP・ケイという学者によると色彩の命名法には、どのような民族にも共通する、一定の法則性というものがあるらしい。

すなわち、原初的な第一段階では、白と黒(明と暗)の二つですべての色をさしてしまう。この時、赤はこの明るい方のグループに入っているのだ。ところが第二段階で色彩名が三つになると、その三つめは必ず赤と決まっているらしい。

このことは赤は明(アカ)、黒は暗(クロ)という日本語を思いだせば納得できる。

                      「真ッ赤な嘘と黒い噂

■ 赤と黒|南伸坊|白水社|200204月|ISBN4560049432

★★

《キャッチ・コピー》

赤と黒をめぐって色々の物語があり、謎があり、冗談がある。追いつめられた紙切りみたいに、お題に答えてつじつま合わせ。ない知恵絞って、こうなりました。

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浅利慶太■ 時の光の中で――劇団四季主宰者の戦後史

20060822tokinohikariasari

「イタリア語は歌に向く言葉」とかの女は言う。

「ではフランス語は?」と問う私に「愛を語る言葉よ」と答えた。

そしてドイツ語は「詩をつくる言葉」であり、スペイン語は「祈りを捧げる言葉」、

英語は―― これはちょっとアングロサクソンの諸君にはきかせたくないし、シェイクスピアは怒り出しそうだが「商売をする言葉よ」だそうである。

最後の「ロシア語は?」という質問はかの女を傷つけたかも知れない。「人を呪う言葉です」そう答えたかの女の眼差しに暗いかげが宿った。これは決して公平な見方ではない。だが悲惨だった独ソ戦終結時に、ドイツ人たちがどんな立場に置かれたか、何か解るような気がした。

さて最後に「では日本語は」との私の問いに答えてかの女はこう言った。「人を敬う言葉です」

かの女は我々の伝続に「敬語」というものがあるのを知らない。しかしドイツ語から「詩」を、フランス語から「愛」を、スペイン語から「祈り」を感じとる感性が、我々の言葉から「敬う」を感じてくれたのだ。

日本中の国語の教師たちはこの言葉をどうきくだろう。

■ 時の光の中で――劇団四季主宰者の戦後史|浅利慶太|文藝春秋|200410月|ISBN4163663509

★★★

《キャッチ・コピー》

佐藤栄作、田中角栄から三島由紀夫、寺山修司までいま、初めて明かす事件の真相。知られざる著名人の素顔。万華鏡のようにきらびやかなもうひとつの戦後史。

memo

 引用部分は、1963年日生劇場の杮落としに来日したベルリン・オペラ(D・O・B)の「フィガロの結婚」でスザンナを歌ったエリカ・ケートさんとの会話から。

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新藤兼人■ 愛妻記

20060821aisaisinndou

四人の朝の食事を撮る。

ベテラン監督の格言で“演出で困ったらめしを食う場面をやれ“というのがある。めしの場面をやれば、まずい役者もうまいように見える、観客も楽な気もちで見ることができる。

前者は食べることは実際に口に食べ物を入れて呑みくだすのだから技巧は必要ない、しかも至極リアルである。

後者は自分たちが毎日やっていることだから、身近かに感じられて親しめる。

だから利口な監督の映画にはめしを食ったりコーヒーを飲んだりする場面が多いし、へたな監督の映画にも多いということになる。

わたしはいまそのめしを食う場面を撮っている。

 愛妻記|新藤兼人|岩波書店|2000 01月|文庫|ISBN4006030037

★★★

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妻の肝臓がんの手術が終り、余命1年余と告げられたとき、夫は妻主演の映画「午後の遺言状」を撮ろうと決意した。人は老いをいかに生きるべきか。乙羽信子・新藤兼人2人の仕事師の凄絶な愛と慈しみを哀惜をこめて描く。

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松田哲夫・イラスト内澤旬子■ 「本」に恋して

20060820honnimatuda

初歩的なことから質問する。そもそも「インク」なのか「インキ」なのかという言葉からしてわからない。

聞いてみると、どうやら、印刷用のものは「インキ」と呼ぶそうで、東洋インキはじめメーカー名も大半はインキだという。

一方で、万年筆などの場合は「インク」なのだ。

「でも、パソコンのプリンターは『インクジエット』ですよね」と素朴な疑間をぶつけると、「そうなんです。だから、当社でもその手の商品を作っていますが、『インクジエット用インキ』って呼んでいるんですよ」。

■ 「本」に恋して|松田哲夫・イラスト内澤旬子|新潮社|200602月|ISBN4103009519

★★★

《キャッチ・コピー》

一冊の「本のかたち」ができるまで――編集狂・松田哲夫が案内する、めくるめく本作りの迷宮! 装幀から、製本、函、紙、印刷インキまで。

ベテラン編集者が、現場で体感し究めた本作りの奥義とは? 緻密にしてダイナミックなイラスト満載、卓越したドキュメント。

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丸谷才一■ いろんな色のインクで

20060819ronnamaruya

――(部厚い本が、ハードカバーがはずされ、五分冊ぐらいにバラバラにされているのを見て驚き)なんでこんなに破いたんですか。

丸谷 これは寝ころんで読むために。

――このままじゃ持てないからですか。

丸谷 持てない。今度は破いて読みました。〔略〕ベッドで寝ころんで読むときも、机に向かうときでも、破いてやると、とっても楽なんですよ、特にA5判の本は。僕は破いて読むし、色鉛筆その他で書きこむし、手製のインデックスをつくるわけです。たいていこの見返しのところがインデックスになるんですね。だからこれは編集者に希望しておきたいんだけれども、見返しが黒いのは困ります。見返しは白っぼくしてもらいたい(笑)。

――う―ん、本を造る側としては、ちょっと徴妙な気持ですけれど。

丸谷 だから英米流に、リーディング・プルーフ(書評用仮綴本)を作って、ひと月前に送って来るのがいいんですね。そうすれば発売と同時に書評が載るし。日本もいまにああなるでしょう。

――「藝のない書評は書評じゃない」

■ いろんな色のインクで|丸谷才一|マガジンハウス|200509月|ISBN4838713916

《キャッチ・コピー》

丸谷才一氏が本好きのあなたに送る1冊。書評の楽しみ、読書の喜びをさまざまな角度から解説するエッセイや圧倒的な語り口で推奨する18編。近代日本の100冊、千年紀のベスト100冊など。

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矢野誠一■ 戸板康二の歳月

20060818toitayano

……先生の本葬が始まる頃、一匹の兎が葬儀場の前の広場を横切ったそうである。受付をしていた「演劇界」編集長小宮暁子をはじめ、何人かがしっかり目撃したそうだ。

戸板康二は、一九六三年一月芸術座の芝居を観た帰り泰明小学校前の店で兎の土鈴を買い求めていらい、自分の干支にちなんで兎の玩具のコレクションを始めた。その後、海外旅行の際に買い求めたり、誕生日の祝いにひとから贈られるなどして増えつづけ、週刊誌のグラビアに載ったら未知のひとからまで贈られるようになった。

エッセイ集『忘れじの美女』(三月書房)のなかの「コレクション」という文章を、

わが家にろくなものはないが、ウサギだけは、財産である。

と結んでいる。〔略〕

私には祭壇の追贈された勲章よりも、広場を横切った一匹の兎のほうが、先生の供養にはふさわしいように思える。

■ 戸板康二の歳月|矢野誠一|文藝春秋|199606月|ISBN4163517200

★★★

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江戸っ子の粋、その誠実にして軽やかな歩み。昭和を代表する文人たちとの交流を描く傑作評伝。

夏目漱石『心』の書き出しを気取るなら、「私は其人を常に先生と呼んでゐた」ということになる。そのひと――戸板康二。昭和を代表する文人との交流を交えて描く渾身の評伝。

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和久峻三■ 京都奥嵯峨柚子の里殺人事件――赤かぶ検事シリーズ

20060817yuzuwaku

「……滅多やたらと酷い誹謗記事を書くので、それが面白くて読むんでしょうね」

   

しかし、誹謗記事の犠牲になった人の人権はどうなるんだね?

「糞味噌に書かれた人の人権なんか、いちいち気にしていないでしようし、何よりも、人権が何であるかを知らないわけです。そのくせ、記事のなかで人を誹謗するときは、

従業員の人権を侵害したとか、社会正義に反することをしているとか、セクハラをやったとか、ありもしないことをまくし立て、低俗な興味を煽り立てて、ただ一筋に売らんかなの戦略なんです。それで、十年近くも廃刊にならずに、継続していると言いますから……」

「驚いたなも。考えてみれば、嘆かわしい世の中だわね。そんな低俗な雑誌が大手書店の店頭に配本されているとはよぉ。〔略〕。ポルノはいけないが、名誉毀損はいいとでも思っているんだろうか?」

「さあね。言論出版の自由というたいへん好都合な隠れ蓑がありますものね」※

■ 京都奥嵯峨柚子の里殺人事件――赤かぶ検事シリーズ|和久峻三|光文社|200501月|文庫|ISBN4334738168

★★

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ゴシップ誌に誹謗記事を書かれた人気作家が突然、失踪。その後、二転、三転する事件―果たして真相は? プライバシー無視のマスコミ報道への痛烈な批判をこめた、著者渾身の傑作法廷ミステリー。1994年、角川文庫書き下ろし。

memo

神林広恵『噂の女』より以下抜粋

……特捜部の捜査に対抗するため、今度は『噂の真相』が逆に和久を名誉毀損罪で刑事告訴することを決めた。

「和久の小説『京都奥嵯峨柚子の里殺人事件』に関して、名誉毀損罪で東京地検に刑事告訴しようと思う。あの小説は『噂の真相』をモデルにしてるのは明らかで、和久にとっても『噂の真相』記事に対する対抗言論として十分に機能している。〔略〕」

だが、この告訴は特捜部に完全に無視され、後にあっさりと不起訴処分が決定する。

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向井 敏■ 残る本 残る人

20060816nokoruhonmukai

かつて桶谷秀昭が藤沢周平の短篇集『花のあと』文庫版の解説で、江戸時代の住人たちと今日のわれわれとでは「時間の流れ方がちがう」、われわれの時間が「未来へむかって直線にながれてゆく」のに対して、彼らの時間は「四季のめぐりのように円を描いて循環していたようにみえる」と書いたことがある。

すべて進歩、変革というものが忌まれ、旧来のしきたりに従うことが格別に重しとされた時代の人びとの生活感情をよく言い当てているが、そのうえで彼はまたこうも言う。

そういう時間感覚を時代小説が再現するとき、われわれは現代小説にめったに味わうことのできない、或る心のやすらぎをおぼえる。

循環する「時間感覚」。それを再現するうえで欠かすことのできないのが、「四季のめぐり」とそのもたらす情感の描写であろう。この四季の情感で物語を染めあげることにかけて、とりわけぬきんでていた作家がほかならぬ藤沢周平。

                   「藤沢周平の春夏秋冬」

 残る本 残る人|向井 敏 |新潮社 |200101月|ASIN: 4103467029

★★★

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本の見どころ勘どころを数行の言葉にきりりと絞る。手がけた書評1000篇。書評歴20年。書評エッセイの達人がおくる20世紀最後の10年のエッセンス99

memo

 未来への直線線的時間ではなく、春夏秋冬を循環する円のような時間……。なるほど、これが“老人力”であり、高齢者の時間の過ごし方かもしれない。

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奥田英朗■ 港町食堂

20060815minatomatiokuda

おかあさんたちの話の通り、十時を過ぎてから漁船が次々と帰ってきた。なにやら壮観。船体が色とりどりで、景色が一気に華やぐのだ。わたしまで「おかえりなさい」といいたくなった。自分の夫の船が見えると、妻が腰を上げ、小さなリヤカーを引いて岸壁で待ち構える。

いいなあ、こういう生活。旅人の感傷かもしれないが、わたしはシンプルな生活に憧れる。漁が済めば、否応なく一日が終わる。一杯飲って、あとは寝るだけ。これが正しい人生だ。だいたい「生きがい」だの「自分探し」だのというのは、現代病の一種である。

「みんなが主役」などとマスコミが甘言をささやいた時点で、人は新手の悩みを抱えるようになった。自分なんか勘定に入れるなよ。何様のつもりだ。

■ 港町食堂|奥田英朗|新潮社|200511月|ISBN4103003510

★★

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N木賞受賞でさらに多忙に、もっとワガママになった自称“品川イチの偏屈作家”を待ち受ける受難の数々。毒舌炸裂、阿鼻叫喚、トドメに感涙必至の紀行エッセイ。

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高橋世織/高山惠太郎:監修■ 新・酒のかたみに――酒で綴る亡き作家の半生史

20060814shinsakeno

日本の国語教育の現場では、教科書における詩歌のスペースは御情け程度であり、入試にもあまり出題されない事もあいまって、飛ばして小説や評論だけに偏る傾向が強い。

詩歌が疎んぜられ蔑ろにされがちなのは、教えにくいことも確かだが、読解重視の教育ではなく、声に出して音読したり、暗唱したり、群読したり、手を使って原文をフル・テクスト書写してみるといった、身体を駆使して受容してみる試みも大事なのだ。

元来、文学行為も演劇や芸術と同じくすぐれて身体文化的なレヴェルを有していたにもかかわらず、「音読」は完全に廃れ、「黙読」一辺倒の作品受容の在り方になってしまっている。

近代人の哀しい性である「意味の病」に冒されてしまっているのだ。

―― 高橋世織「島崎藤村 濁り酒濁れる飲みて……」

■ 新・酒のかたみに――酒で綴る亡き作家の半生史|高山惠太郎:監修|たる出版|200409月|ISBN4924713783

★★★

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夏目漱石、幸田露伴、芥川竜之介、太宰治、黒沢明、小津安二郎…。作家や映画監督の人生を「酒」を通して描いた16編。『たる』連載等をまとめる。「酒のかたみに・続」の続編。

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田中良紹■ メディア裏支配――語られざる巨大マスコミの暗闘史

20060813medhiatanaka

2003121日(月)、東京、大阪、名古屋の三大都市圏で地上デジタル放送が開始された。東京では赤坂プリンスホテルで記念式典が催され、NHK、民放のトップと麻生総務大臣、それに小泉総理大臣までもが出席して、新しい放送の門出を祝した。

全員でカウントダウンを行い、会場のモニターに地上デジタル放送の映像が映し出された。しかしその映像は地上デジタル波を受信した映像ではなく、ケーブルで引いてきたケーブルテレビの映像であった。地上デジタルの電波が会場に届かなかったからである。

電波が届いていないことを知ってか知らずか、ケーブルテレビの映像に向かってカウントダウンを行い、「今日は歴史的な日だ」と小泉総理大臣が挨拶するさまは、まるで漫画だった。〔略〕

新聞は記念式典の会場に電波が届かなかった事実を伝えていない。それどころか各紙とも「1200万人が受信可能」という総務省発表の数字をそのまま記事にしていた。しかしこの時点で出荷されていた地上デジタル用のチューナーは30万台にすぎなかったのである。

■ メディア裏支配――語られざる巨大マスコミの暗闘史|田中良紹|講談社|200503月|ISBN4062128349

★★★

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日本の新聞・テレビを芯から腐らせる巨悪とは!?

反省なきNHK、読売新聞の傲慢、傷を舐めあう輩たちの謀略……、国民を惑わすメディアのドンと政治権力の野望をはじめて暴く!

memo

「日本に議会制民主主義が芽生えた頃、秘密主義の政府に対して取材を要求するため、新聞社が団結して作った記者クラブは、百年余を経て既得権益を守るための組織となり、同時に政府に管理されやすい談合の組織と化しているのである」(本書から)

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坪内祐三■ 私の体を通り過ぎていった雑誌たち

20060812zassitatitubouti

一九七〇年代はサブカル雑誌(リトル・マガジン)の黄金時代だったと言われている。〔略〕

それらのリトル・マガジンに共通していたのは反体制(あるいは非体制)のにおいだ。私はそのにおいが嫌いだった(ある時期からの『宝島』にもそのにおいが立ち込めはじめて、私が熱心な読者でなくなっていったことはすでに書いたと思う)。

私たち(一九五〇年代後半生まれ)は「シラケ世代」と言われた。私のことを「シラケ世代」の代表のように書いた人もいるが、実は私は、「シラケ」が大嫌いだ(「シラケ」と「クール」は全然違う)。そのどこか非体制的な雰囲気が(本当に非体制であるには、例えば永井荷風のように特別な緊張感が必要なのに、その種の緊張を欠いた非体制の雰囲気)。それは高度成長時代の甘えに過ぎない。〔略〕

十代の頃、私は、リトル・マガジンに、そういう同時代性を感じた。特に『話の特集』と『面白半分』にそれを強く感じた(今思えば、『話の特集』の矢崎泰久は、あるいは『面白半分』の吉行淳之介や野坂昭如は少しもシラケた人たちではなかったのだが)。

■ 私の体を通り過ぎていった雑誌たち|坪内祐三|新潮社|200502月|ISBN4104281026

★★★

《キャッチ・コピー》

1960~80年代。雑誌が一番輝いていた、あの時代。小学生の頃から「雑誌小僧」だった著者による、百科全誌的思い入れクロニクル。

memo

このやたらに( )つきの文章に疲れる。

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歌川令三■ 新聞がなくなる日

20060811sinnbunnutakawa

“第四の権力”はマスコミだ。ニューヨーク・タイムスの電子版と“第五の権力”ブロガーのネツト集団と、どちらがオンライン・メディアとして影響力があるか、公開の賭けまでおこなわれている。〔略〕

ニューョーク・タイムスは、自社の「電子版」のなかに、これはと思われるブロガーたちを組織し「一人新聞社」のキー局を設立し、数百万の新規の「電子」読者獲得をめざしている。韓国のオーマイ・ニュースは、「近代のメディァの王者はニューヨーク・タイムスだった。だがポスト近代の王者は市民記者たちのブログ・ジャーナリズムだ」と宣言している。

ニューヨーク・タイムスは「電子」メディァの雄たらんとし、ブロガーたちはこれを阻止しようとする二一世紀のメディアの興亡は「紙」の上ではなく、「オンライン」の世界で繰り広げられる兆しがある。

日本では、市民の「電子」メディアが、「紙」の大新聞の挑戦者として名乗りを上げる気配はない。また「オンライン」上で、大新聞系とブロガーが影響力を競い合うこともない。

■ 新聞がなくなる日|歌川令三|草思社|200509月|ISBN4794214391

★★

《キャッチ・コピー》

元毎日新聞記者である著者がインターネットという新しいメディアに侵食される新聞の現状と将来を考察した本。

世界一の新聞宅配制度(販売収入)に支えられた日本の大新聞は201X年には崩壊し、2030年には死滅するだろうと予測。

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横山秀夫■ ルパンの消息

20060810rupanyokoyama

時計の針は午後六時を回っていた。日高鮎美の行方は依然として知れず、捜査に特筆

すべき進展はなかった。

なにしろ十五年前の事件である。きのう今日死体が見つかった事件のようにポンポンいい情報が入ってくるはずもなかった。

街が変わり、人も、その生き方までもすべてが変わってしまっていた。幾重にもベンキを塗り重ねられた街は、たつた今この時だけの色を見せ、古い層のことはおくびにも出さない。

過去というものが大体において辛苦の積み重ねだからであろうか、削っても削っても十五年前の色がなんであったか、人も、街も、語りたがらないのだ。

溝呂木は、巨大都市東京を原けずり回って手掛かりを集める部下たちを思った。

■ ルパンの消息|横山秀夫|光文社|200505月|新書|ISBN4334076106

★★★

《キャッチ・コピー》

著者がデビュー前に書いた“幻の処女作”が、15年の時を経て、ついにベールを脱いだ。第9回サントリーミステリー大賞佳作。

memo

連日の猛暑。銷夏法はミステリに限る。事件が学園ものっぽいので投げ出そうとしたが、後半ぐいぐいと。

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田村治芳■ 彷書月刊編集長

20060809housyotamura

「ななちゃんは古本いじってればしあわせなんでしょ」

とだれかに言われたことがある。ウン、そうだよ。

「ひねりすぎだよ」

と言われたこともある。

古本に値段をつける。ふつうに書名を書くと―― 『茲航』富永和郎著昭和四十五年刊――なんだけど、わたしはこう。

著者が晩年の田辺夏女から聞いた樋口一葉のおもいでが三十四頁入っている。その一点に。「ホラ、ここみてよ」と値段をつける。

それをある言い方では、ひねる、となる。ひねるの好き、おれ。元々、ひねられてつくられた本も好き。

 彷書月刊編集長|田村治芳|晶文社|200211月|ISBN4794965524

★★

《キャッチ・コピー》

古本と古本屋、すべての本を愛するための情報誌『彷書月刊』の編集長が、創刊以来の歩みを綴る。古本屋の笑顔と涙を描いた一冊。古本の匂いが一杯の本

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塩山芳明■ 出版業界最底辺日記―エロ漫画編集者「嫌われ者の記」

20060808syuppannsioyama

(2,003)11月×日

長く仕事してもらってる割に人気の出ない漫画家には、ロリ&劇画を問わず一定の傾向が。当人達は漫画を描くのが好きで仕方ないらしいのだ。だから決して手抜きはしない。しかし、読み手の立場が頭にないので、努力が明後日の方向へ脱線。(多分、一般漫画はともかく、同業者の漫画もまず読んでない)

読者がエロ漫画を読む際に一番気にする、キャラの色気、SEXに至るまでの説得力、体位等のリアリティに工夫をせず、登場人物の数をやたらに増やしたり(描き分けられぬのに)、無意味な場所移動を繰り返したり(ストーリーが混乱、濡れ場が減るのみ)、ささいなネームに凝ったり。(誰も読んじゃおらん)

どの編集部も何人か抱えてるはずだが、漫画屋の場合、鬼姫、ブランシェア、花村れいらが代表。折りを見て説教してるが、いつの間にか元のタッチに。彼等はいずれも″マジメな努力派″。

むげにも打ち切れずに来たが、誰から見ても下手糞な連中より、このタイプに必要以上のページをさく方が、雑誌は廃刊に追い込まれる。(俺も″マジメな努力派″。だからついズルズルとね。テヘヘヘヘ❤)

■ 出版業界最底辺日記―エロ漫画編集者「嫌われ者の記」|塩山芳明|筑摩書房|200607月|文庫|ISBN4480422358

★★★

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エロ漫画界にその名を轟かす凶悪編集者のルサンチマンにあふれる叫びを聞け―。

手抜き仕事の漫画家を怒鳴りつけ、いつも指定を間違える印刷所の営業マンを教育し、大手のたるみ切った社員編集者を罵る。

不条理な業界構造に下請けの意地で対抗する。

東京都の不健全図書指定にもめげず、出版業界の最底辺を突っ走ってきた男の、毒舌と皮肉に満ちた血闘記録。

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西岡研介■ スキャンダルを追え!「噂の眞相」トップ屋稼業

20060807uwasanishioka

ところが神戸新聞のトップと現場双方が言うことを聞かないとみるや、市幹部は、今度は「真ん中」、つまり社会部幹部やデスククラスに現場を抑え込んでもらうよう攻勢をかけてきた。

「なぁ、西岡よ、あいつらも(空港建設に)必死なんや。もちろん批判すべきところは批判すべきや。けど、少しはあいつらの立場もわかったってくれへんか……」

元神戸市役所担当のOB記者にこう諭されたのも一度や二度ではなかった。〔略〕

これはもちろん空港問題に限ったことではない。世の中には賢否の分かれる問題が多々あるが、これらの問題を報じる場合、新聞は、どちらが正しいか間違っているかは別として、双方の意見を平等に載せ、読者の判断に委ねようとする。これが新聞の「バランス感覚」なのである。

ゆえに、賛否の分かれる問題を報じる場合、自分自身がどれだけ、どちらか一方の言い分が正しいと信じていたとしても、けっしてその「一方の言い分」だけを掲載することはできない。そんな、全国紙をはじめ、日本中の新聞が標榜する「不偏不党の立場」というものに私は、どうしようもない居心地の悪さを感じ始めていた。

■ スキャンダルを追え!「噂の眞相」トップ屋稼業|西岡研介|講談社|200110月|ISBN4062108615

★★★★

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仰天スクープはこうして誕生した!

東京高検検事長のクビを取り、首相を窮地に追い込んだ、若き「ゲリラ記者」の東奔西走奮戦記。

memo

「噂の真相」以前の神戸新聞記者時代の大震災、少年A事件、神戸空港問題などが扱われており、神戸市民にとっては「一粒で二度おいしい」本。

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杉山正樹■ 寺山修司・遊戯の人

20060806terayamasugiyama

そのときはまだ気づかなかったのですが、今にして私はおもい当たります。寺山修司の死とともにこの国の貧しいもの、うそうそとしたもの、悲哀に充ちたさまざまなものが消えて行ったような気がする。戦後もなお連綿としてつづいていた、近代日本にとってマイナスだったものが、まるでかき消すようになくなってしまった。

慢性的な飢饉や、死の病いだった結核や、赤痢・疫痢・ジフテリアほか無数の伝染病、日本脳炎や蚤や虱や間引きや身売り、戦争・空襲・戦死・行方不明・外地引揚・孤児・闇屋・売春婦、そして占領軍と基地周辺の女たち、肥やし溜めや藁葺き屋根や田圃や泥んこ道や真っ暗闇やどぶ板や紙芝居やちゃぶ台や裸電球や町角のゴミ箱その他、かつては日の前に存在した古い日常生活のあらゆるものが、かれの死とほぼ同時期に跡を絶ってしまった。〔略〕

寺山の没後にきたのは、それこそシャンパンの泡のような浮わついた時代でした。そしてバブルはとっくの昔にはじけ飛び、泡沫となって消えうせた。

 寺山修司・遊戯の人|杉山正樹|河出書房新社|200607月|文庫|ISBN4309408044

★★★

《キャッチ・コピー》

寺山修司という迷宮を描く評伝の決定版。

華々しく十八歳で歌壇に登場し、詩・小説・演劇・映画・エッセイと、あらゆる分野で活躍、劇団「天井棧敷」が海外で高く評価された寺山修司。かれはまた盗作疑惑やのぞき事件など、たえずスキャンダルを起こすトリックスターだった。デビュー時から身近に接した著者が、その虚と実を精緻に跡づけた傑作評伝。

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仲俣暁生■〈ことば〉の仕事

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「われわれ」「ぼくたち」といった複数形の主語で語るのが、なににもまして恥ずかしい。おそらくはそれが「私たち」――一九六〇年代の前半に生まれた者――にとって唯一の、共通の感覚でした。

私たちの世代は複数形の主語を拒むことで、平板な世代論が他者によって語られてしまうことを、強固に拒んできたのだと思います。だからこそ、同世代同士の間ですら、この世代の人間はとてもわかりにくい印象を与えがちです。〔略〕

「書物をつうじて古典的な教養を身につける」ことが〈ことば〉や〈知〉に取り組むほぼ唯一の手段だった時代から、サブカルチャーやテクノロジーの力が無視し得ぬほどに優勢となり、それまでの〈ことば〉や〈知〉に新たな回路を切り拓いてゆく時代への変化が、「モダン」と「ポストモダン」との間の境目だとすると、その変化はおもに、一九七〇年代の後半から八〇年代の前半にかけて起こったと私は考えます。

このときの切断面のことを、作家の橋本治がかつて「八〇年安保」と呼んだことがありますo本書に登場する人たちは、まさにこの時代に高校・大学時代を送っています。

■ 〈ことば〉の仕事|仲俣暁生|原書房|200605月|ISBN4562040009

★★★★

《キャッチ・コピー》

誰もが情報を発信できる時代となったいま、「言葉をあつかう仕事」のなかでは何が起きているのか。最前線の批評家、研究者、出版人へのインタビューから探る、言葉の方法論の現在。

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中原昌也■ 待望の短篇集は忘却の彼方に

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文章を書くということは、己を見つめるという行為に他ならない。とすればただ単に醜いだけの人間、救いようのない最悪な人間であるのなら、それをテーマに書くしかないだろう。いかに底の浅い、それくらいしかボキャブラリーのない悲惨な人間であろうか。

これがくだらない、賞というお祭りの犠牲者だ。賞をやった方は、どうしようもない人間にくれてやってさぞかし可笑しかっただろう。金が欲しくて欲しくてたまらない乞食同然に自分が、後先のことを考えず金に飛びつく様を見て笑いが止まらなかったことだろう。本当はそんな資格なんてない、ただ単に金が欲しいだけの文学とはまるで無縁の無学な低能が、賞などもらうといかに悲惨になるのかというのをよく見て欲しい。その貧しさと醜さをよく見るべきだ。

そして真剣に文学と向き合う人々は、この悲惨さを教訓とし、二度と自分のような犠牲者を出さないようにすべきだ。心から文筆と自分を愛する健全な人間の言葉のみが活字になり、この鬱屈した社会に希望の光りを与えるようなものでなければならない。そうでなければ文学と呼ばれる価値はない。また、そういうものが大手を振って文学として流通しているようでは、文学はおろか我が国の文化に存続はありえない。

――「凶暴な放浪者」

 待望の短篇集は忘却の彼方に|中原昌也|河出書房新社|200407月|ISBN4309016480

《キャッチ・コピー》

混迷の時代に舞い降りた最新ユーモア青春小説集がついに刊行。

その<凶暴性>の中毒になった人数知れず。一度その世界に足を踏み入れたら決して抜けだせない。狂気と快楽の世界に誘う奇才・中原昌也待望の小説集ついに刊行。

問題作、驚異の<書き下ろし“2短篇!?

memo

 かつては小説家をめざした才能は、まんが、アニメ、ゲームに流れ、純文学は惨憺たるありさま。河出書房は「天才・中原昌也」とおだてるが、作品は目を覆うばかり。「ユーモア青春小説」とごまかすしかない。

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吉村昭■ わたしの普段着

20060803watashinoyoshimura

しかし、そのコーナーは私に特別な感慨をいだかせてくれる。町は昭和二十年四月中旬、夜間空襲で焦土と化し、住民は散って町のたたずまいは消失している。

その町に行って図書館に入ると、図書館のある地には自転車屋、呉服屋、赤金(銅)で細工物をつくっていた職人の家があったことなどを思い出し、生家とその附近の家並が霧の中から浮び出るようによみがえる。

そのような地に、自分の著作その他がひっそりと並べられているのもいいではないか、

と思ったりする。

商人であった父は、母とともに終戦前後に病死しているが、思いもかけず小説家になった私のコーナーが生家のほとんど前の図書館にもうけられていることに、さぞかし驚き呆れるだろう、と思ったりする。〔略〕

私の死後一年ほどは、コーナーはそのまま残してもらってもよいが、その後は生原稿その他をすべて家に送り返してもらおうと思っている。

私には不釣合いなコーナーだが、消え去った町のたたずまいを思い起すよすがになっている空間で、それが楽しいだけで私の死後にはなんの意味もない。

■ わたしの普段着|吉村昭|新潮社|200512月発売単行本|ISBN4103242302

★★★

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人と触れあい、本を読み、旅に出て、日々を愉しみ、歳月を重ねる――日常を平穏に暮し、悠々自適、いつも心に普段着を着て生きる著者の珠玉の最新随筆集。

memo

吉村昭氏が死去(共同通信)2006.08.01

「戦艦艦武蔵」などの記録文学や「破獄」などの歴史小説で知られる作家の吉村昭氏が7月31日午前、膵臓がんのため

東京都三鷹市

の自宅で死去した。79歳。東京都出身。

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長辻象平■ 忠臣蔵釣客伝

20060802tyuushinnagatuji

大川を下って佃島の西を通った舟は、品川で其角を乗せてその沖に出た。

朝日の輝く海の上は清々しい。

其角は船頭に命じて飯を炊かせた。潮風に混じってわずかに飯の焦げる香ばしい匂いが漂い始めた。〔略〕

其角はゆっくりと句を詠んだ。

「ほのぼのと朝飯匂ふ根釣りかな――」

「流石にお見事。のちの世にまで永く残る句でござろう」

「長年推敲を重ねてまいりましたが、ようやく釣りの一句を得ましたので、本日海にお誘いした次第」

驚いたことに其角は、舟の敷板を外して奥の箱から釣り釣と錘のついた糸巻きを取り出した。

「其角どのもご禁制の釣りをなさるのか?」

「いかにも、好きの道ゆえ細々と続けております。手前のような不届き者が他にもまだまだおるようでございまして……。釣りを禁止する町触れが繰り返し出されておりまするのもそのせいかと」

其角は嬉しそうに笑いながら、透き通った体でよく跳ねる餌の小海老を釣に刺して海に投じた。

■ 忠臣蔵釣客伝長辻象平|講談社|200312月発売単行本|ISBN406212131X

★★★

《キャッチ・コピー》

知者はそれ水を楽しむ。釣りの醍醐味は、糸の震えと、抵抗する獲物の手応え。吉良上野介の女婿は何を釣る?

釣りの世界から見た元禄の世の奇怪。本邦初の「釣り時代ロマン」。満を持して登場。新人にして呑舟の魚。沸騰する海面に、見よ、煌く銀鱗。読者ゆめゆめ釣り落すなかれ。

(出久根達郎)

memo

出久根達郎の惹句につられたが、「何羨録」の著者、津軽釆女が主人公というだけで、釣りの醍醐味が味わえるわけではなく、これは忠臣蔵異聞の一つ。

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山口仲美■ 日本語の歴史

20060801yagagutinihonngo

話し言葉から隔たった書き言葉には肉声が込めにくい.むろん、話し言葉がそのまま文章になるわけではありません。でも、少なくとも書き言葉に使用される語彙や文法が、話し言葉と一致していればいるほど、書くことが容易になります。

話し言葉と書き言葉の一致の必要性に気づかせたのは、明治になって出会った西洋文明です。ヨーロッパでは、ルネッサンス以後に、イタリア、イギリス、ドイツ、ロシアなどで次々に言文一致運動が起き、話し言葉と書き言葉を一致させる努力をしてきました。

日本は、四、五百年遅れで、言文一致運動を体験。途中で二回も暗礁に乗り上げ、それでもなんとか達成させることができました.そのおかげで、われわれ現代人は、容易に文章を綴ることができるのです。

■ 日本語の歴史山口仲美|岩波書店|200605月|新書|ISBN4004310180

★★★★

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こんなに面白いドラマだったのか。せめぎあう、話し言葉と書き言葉。今の日本語はこうして生まれた。

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赤田祐一■ 「ポパイ」の時代―ある雑誌の奇妙な航海

20060731popaiakada

征木 『ポパイ』以前は、若者の雑誌ってのはなかったのだよ。

●―― 『平凡パンチ』は?

征木 あれは青年誌なんだよ。じゃあ青年誌と若者雑誌のどこが違うかというと、強烈な上昇志向があったり、性欲に対しての機能をもった雑誌が青年誌であって。『ポパイ』っていうのは、思うに、極めて微妙に「セックス」が抜かれてるわけだよ。もちろんドラッグもないけど。

で、もっとどこが画期的だったかというと、背広のおじさんがいないんだよ。それから政治もないんだ。で、それを「3S」に置き換えると、セックスとスーツ、とソーシャリズムって言えばいいのかな? 性と政治と背広のおじさんたちが「脱権力」されてるわけ。そこが本当に大きなところじゃないかな。〔略〕

で、もうひとつあるのは音楽誌であるとか映画雑誌であるとかファッション誌であるとか、趣味雑誌なわけ。だから、かつては趣味雑誌と性欲雑誌しかなかったわけだよ。

――証言構成『ポパイ』の時代 征木高司

■ 「ポパイ」の時代―ある雑誌の奇妙な航海赤田祐一|太田出版|200210月|ISBN4872336933

★★★

《キャッチ・コピー》

名編集者、赤田祐一が、自らの原体験を元に、雑誌づくりの在り方を問う。雑誌界の源流を作った初期『ポパイ』誌を徹底的に検証する。

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司馬遼太郎■ 司馬遼太郎対話選集(5)日本文明のかたち

20060730shibataiwa5

キーン シーボルトは大坂で『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の人形浄瑠璃を見ましてね、感激して、ヨーロッパヘ帰ったときに、そのあらすじを、当時フランスでたいへん人気のあったオペラの作曲家のマイヤベアという人に話したのです。

彼はひじょうに感心をしまして、ぜひオペラにしようと言ったそうです。その題名は『盲目の皇帝』というのです。〔略〕

マイヤベアとのオペラの話はとうとう実演できなかったのですが、しばらくして今度は小説家のドーデがその話を聞いて、ぜひシーボルトに会って、もう少しその話を詳しく知ろうと思いたったようです。

シーボルトはそのときにドイツの南部に住んでいましたが、ドーデはその家まで行って、玄関の扉をノックしたところ、中からなんの返事もないんです。いくら待っても返事がないので、部屋に入ってみると、シーボルトはそこで死んでいました。

ドーデは、これを『月曜物語』のなかで興味深く書き残しています。

司馬 ロマンチックな話ですな。

キーン ひじょうに不思議な話です。しかし、もしもうひとつうまくいけば、いま『妹

背山婦女庭訓』のオペラがあったわけですね。

            ――ドナルド・キーン 司馬遼太郎「日本人と日本文化」

■ 司馬遼太郎対話選集(5)日本文明のかたち司馬遼太郎|文藝春秋|200607月|文庫|ISBN4167663252

★★★

《キャッチ・コピー》

司馬が「懐かしい人。このような不思議な思いを持たせる人は、ほかに思いあたらない」と書いたドナルド・キーンとの、四半世紀に及ぶ長い交遊のきっかけとなった対談「日本人と日本文化」を収録。

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絲山秋子■ 沖で待つ

20060729itiyamaokide

太っちゃんが低い声で、

「おまえさ、秘密ってある? 」と言いました。

「秘密?」

「家族とかさ、恋人とかにも言えないようなこと」

太っちゃんは秘密の話がしたくて、今日私を誘ったのだな、と思いました。けれど聞いてどうなるもんじゃなし、まあ話して気が楽になるんだったら聞いてやるか、くらいの気持ちでした。

「まあ、ないとは言えないけど…見られて困るものとか?」

「おまえもある?  そうかそうか」

太っちゃんは嬉しそうな顔をしました。〔略〕

太っちゃんはいつもみたいにはのってきませんでした。いっそう声をひそめて、

「あのさ、一番やばいのはHDDだと思うのさ」

と、言ったのです。

「HDD?」

「ハードディスク。パソコンの」

「ああ、それやばい。私もやだ」

「だろ。もし死んだらどうするよ」

「そっか、死んだら人に見られちゃうんだ」

■ 沖で待つ絲山秋子|文藝春秋|200602月|ISBN4163248501

★★

《キャッチ・コピー》

同期の太っちゃんが死んだ。約束を果たすべく、私は彼の部屋にしのびこむ―。仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情を描く。第134回芥川賞受賞作。

memo

絲山は時代の風俗を切り取る作家である。

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内田樹■ 「おじさん」的思考

20060728ojisannutida

日本はこれから「右肩下がり」の時代に入って行くと私は思っている。

経済が失速し、政治的プレザンスが消滅し、文化的発信力はさらに希薄になるだろう。

しかし、べつにそれを嘆く必要はない。これまでだって世界に覇を唱えた帝国はつねに滅びてきたのである。〔略〕

人間と同じで、国もまた未熟なときもあれば、壮健なときもあり、老衰してゆくときもある。老人には老人の生き方、老人ならではの生活の楽しみ方がある。

日本は今「老人国」になろうとしている。それはべつに高齢化社会とかそういう意味ではない。国そのものが「お疲れさん」状態に達している、ということである。

明治が起業期で、昭和のはじめに世間知らずのまま夜郎自大的に事業を拡張、中年で倒産して路頭に迷い、一念発起でニッチビジネスで再起を果たし。いつのまにやら大金持ち。それを無意味に蕩尽し果てて、無一物の晩年、というのが近代日本の「人生」である。

無一物にはそれなりの豊かな生き方がある。

■ 「おじさん」的思考内田樹|晶文社|200204月|ISBN4794965303

★★★

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「日本の正しいおじさん」の旗色がよろしくない。

「進歩的文化人」は罵倒の枕詞となり、「家父長」は打倒対象となり、「常識」や「社会通念」は反時代的イデオロギーとしてごみ箱に棄てられ、「正しいおじさんの常識」はいまや風前の灯である。

だがその灯をほんとうに絶やしてしまってよいのか? 

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高平哲郎■ ぼくたちの七〇年代

20060727bokutatihnotakahira

一難去ってまた一難。九月号が出た数日後に、中村社長から呼ばれた。

「困ったことになったんだよ」

「なんでしょう? 今度は?」

「『ワンダーランド』という誌名がすでに登録されていたんですよ」

晶文社の応接セットの長椅子に軽く乗せた尻が落ちるのをかろうじてこらえた。ぼくの調査ミスだ。♪誰のせいでもありやしない、みんなおいらが悪いのさ――尾藤イサオの歌声が頭蓋骨にこだました。

「世界文化社が持っていたんだよ。幼児向けの雑誌で、このタイトルを登録していたんだ」

「で……どうしたら」

「今後、誌名は使えない。三大紙に謝罪広告を出さなきゃならない」〔略〕

会議で新しい誌名は『宝島』とすんなり決まった。片岡(義男)さんと津野(海太郎)さんと平野(甲賀)さんが話し合ってすでに内定していたのかもしれない。髭をいじりながらニヤニヤしていきさつを聞いていた植草甚一さんは、新しいタイトルにうなずいた。

■ ぼくたちの七〇年代高平哲郎|晶文社|200401月|ISBN4794966024

★★★

《キャッチ・コピー》

1979122日、植草甚一が死んだ。そのとき、ぼくたちの七〇年代が終った。幻の雑誌『ワンダーランド』から『宝島』へ。テレビ番組『笑ってる場合ですよ』から『今夜は最高!』へ。

コピーライター、雑誌編集者、放送作家、演出家として、七〇年代サブカルチャーの生まれる現場にいた著者の回想。

memo

 植草甚一・編集と銘打った『ワンダーランド』が1973年に創刊され、第3号から「宝島」に誌名変更。写真はいまも手元にある2号、3号の表紙。

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丸谷才一/内田 樹■ 書きたい、書けない、「書く」の壁

20060726kakunokabe

彼らが愛読する「マンガ」というのは絵と文字のハイブリッド・メディアであり、膨大な量の文字情報をも同時に発信している(だから識字率の低い国では、子どもたちが「マンガさえ読めない」ということが起こるのだ)。それに、彼らが日頃耽読している情報誌やフアッション誌もまた少なからぬ文字情報を含んでいる。

なぜ、これだけ文字に浸っていながら、「文字が読めない」ということが起こるのか。

私の仮説は次のようなものである。

それは彼らが「飛ばし読み、」という習慣を内在化させているからである。

今の若者たちのリテラシーには、「分からない文字は瞬時に飛ばして、読めなくても、気にしない」という「物忘れ機能」が初期設定でビルトインされている。これが問題の根幹なのである。〔略〕

ところが、当今の若者たちの場合は、「自分たちの知的水準に合った」メディアに日常的に触れながら、「意味の欠如」を埋めようとする意欲がほとんど発生しない。読め

ない文字があっても気にならないのである。

 どうしてそんなことが起こるのか?

         ――内田 樹・「矛盾」と書けない大学生

■ 書きたい、書けない、「書く」の壁|著者代表:丸谷才一|ゆまに書房|200509月|ISBN4843318868

★★

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シリーズ・日本語があぶない

子どもや部下をこんな字も知らないのか!と叱るまえに読む本。

日本語のエキスパート・丸谷才一ほか30人の提言。

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佐藤優■ 自壊する帝国

20060725jikaisatou

ソ連では、情報提供者が接触してくるときには自宅の電話ではなく、公衆電話を使うのが常識だった。当局による盗聴を恐れてのことである。

公衆電話は2コベイクだが、1コペイク硬貨2枚か2コペイク硬貨しか使えない。当時、インフレが進み硬貨はほとんど流通しなくなっていたため、公衆電話用のコインが不足し、2コペイク硬貨が闇で50コペイクから1ルーブルというべらぼうな価格で取り引きされていた。通勤途中で、私はふとそのことを思い出したのだった。

キオスクで「1コペイク、2コペイク硬貨を100倍の1ルーブル、2ルーブルで買う」と売り子に声をかけると、みんな喜んで取り分けてある硬貨を売ってくれた。

34軒キオスクに立ち寄ったところで、500回以上の通話が可能な硬貨が集まった。当時、1ルーブルは15円程度にまで下落していたので、日本円にすれば2万円程度の出費だった。

 これらの硬貨が、あとで大きな威力を発揮することになる。大使館に着くと、緊急のミーティングが始まった。

■ 自壊する帝国佐藤優|新潮社|200605月|ISBN4104752029

★★★★

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国際スパイ小説よりスリリング!

ソ連邦末期、世界最大の版図を誇った巨大帝国は、空虚な迷宮と化していた。そして、ゴルバチョフの「改革」は急速に国家を「自壊」へと導いていったのだった―。


“国家とは、こうもあっさりと滅びてしまうものなのか!?”

ソ連邦が崩壊していく一部始終を内側から見つめた、迫真のインテリジェンス・ノンフィクション。

 

memo

掲出した部分のようにディテールが描かれているので第1級の面白さ。

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神林広恵■ 噂の女

20060724uwasanokannbayashi

〈このままでは本当にハンザイシャにされちゃう―〉

無力感に襲われる。

だが、一方的に踏みつけられてばかりはいられない。曲がりなりにも反権力・反権威スキャンダル雑誌『噂の真相』のデスクという立場にある以上、自分の身の上ばかり嘆いていても始まらない。自分を奮い立たせた。

「巨悪を眠らせない」「正義の味方」「権力の腐敗を断罪する捜査機関」――。

世間で、こんなもてはやされ方をしている東京地検特捜部はインチキだった。

タクシーが新宿に着く頃には、怒りがだんだん込み上げてきた。

〈権力なんてくそくらえ― 絶対やっつけてやる!〉

      

スキャングル雑誌の編集者だった私は、こうして東京地検特捜部という巨大権力と正面から闘うことになった。そしてその闘いはその後十年に及ぶことになる。

 噂の女神林広恵|幻冬舎|200509月|ISBN4344010469

★★★

《キャッチ・コピー》

スキャンダル雑誌に青春の16年間を捧げてしまった名物美人編集者(前科一犯、執行猶予中)が舞台裏激白。

memo

19794月創刊号から20044月終刊号までの全301冊。毎月10日に「文藝春秋」の新聞広告がでると、同誌ではなく「噂の真相」を買いに行ったものだったが……。

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大崎善生■ 編集者T君の謎――将棋業界のゆかいな人びと

20060723oosakihennsyuusya

先日、ノンフィクション作家の後藤正治さんと酒席をともにした。後藤さんは谷川さんのファンで、竜王戦で谷川が羽生相手に終盤で放った7七桂という絶妙手が忘れられないと言う。

あの一手だけを中心に、いつかノンフィクションを書いてみたいとも言う。その一手は確かに私にも強烈な印象が残っている。羽生の脅成に押され、どんどんと分が悪くなっていく過程で谷川が見せた誰にも絶対真似のできないような、それこそ光速の一撃だった。

これが谷川の将棋だ。

7七に打ちこまれた桂馬がそう叫んでいるように思えた。

次世代に次々と城を明け渡していっても、終盤にまだまだあるだろうロマンを信じる谷川将棋に魅力を感じている人は数多いのだということが、後藤さんとの会話の中で実感できて嬉しかった。

■ 編集者T君の謎――将棋業界のゆかいな人びと大崎善生|講談社|200607月|文庫|ISBN4062754185

★★★★

《キャッチ・コピー》

天才か変人か。とにかく棋士は半端じゃない。電線にとまる雀の数を瞬時に当てる、一秒間に一億三手読めるなど伝説は枚挙に暇(いとま)ない。

名人たちの奇抜な行動に目をみはり、本を一冊しか読んだことがない専門誌の編集者に打ちのめされる。非凡で強靱な情熱を傾ける人びとを描き出す、笑いと感動の初エッセイ!

memo 不屈者後藤正治

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レオポルド・ショヴォー/山本夏彦■ 年を歴た鰐の話

20060722yamamotowani

訳者はその異数の売行きを且つは怪しみ且つは危ぶんで試みに櫻井書店主人に質したら、本書は童話と間違へられ誤つて意外に売れたのださうだ。〔略〕

通人の酒落本とも云ふべき本書が、百部、二百部好事家に珍重されようとも、世俗一般の嗜好に投ずる道理がないとひそかに信じてゐた訳者は、間違ひなら是非もないと、この返事を得て釈然とした。

疑念は氷解したが、ひるがへつて思へばこれが童話として世にいれられたのに決して不満はない。書肆が再三童話らしくない装釘をこらすのは、何とかしてこの一巻を少数の具眼者の手へ送りたい心情からではあらうが、思へばはかない工夫である。

仮想具眼者の存在も現代ではそれと定かでない。むしろ悪性インフレとやらの波に乗じ、童話として世に転々し、その悉くが破れ、棄てられ、一部が好事家の手に帰することを庶幾した方が賢明であらう。

訳者が本書に傾倒すること旧に変わらぬ。ただ驚くべきは書肆の熱心で、開板当初に劣らぬ熱情を示す主人と対座中、彼こそ具眼者の随一かと訳者はしばしば舌をまいた。

昭和二十一年冬

秋田縣横手町にて

訳者識

■ 年を歴た鰐の話レオポルド・ショヴォー/山本夏彦|文藝春秋|200309月|ISBN4163221905

★★★★

《キャッチ・コピー》

名コラムニスト山本夏彦の若き日の翻訳を一周忌を前に再刊。桜井書店から刊行された昭和22年版を底本とする。

memo

196070年代の著書紹介にはかならず「訳著書」として本書が紹介してあり、当時から探せど見当たらぬ幻の作品だった。元々は、桜井書店から昭和16年に刊行された。

しかしこの『年を歴た鰐の話』のまえがきを読んで、60年の長い間、夏彦ふうの文体は最初から最後まで同じだったことが分かる。これはすごい。

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森達也■ ドキュメンタリーは嘘をつく

20060721moridokyu

……ここ数年、メディアの劣悪化が急激に加速していることを、僕は確かに実感している。要約すれば、メディアの商業化が臆面もなくなっている。その背景には何があるのか? 結論から先に書く。葛藤や煩悶の欠落だ。

商業主義と己の志が乖離することに、個の記者やデイレクターや編集者たちは、それぞれの内面で葛藤を続けてきた。

組織としては利益を至上のものとして追求するが、志を持つ個としては、どうしてもそこまで割り切れない。結果として個が組織を説き伏せることなどほとんどないが、でもかつて多くのメディア従事者は、己の無力さを嘆きながら、無駄な煩問を続けていた。

この「後ろめたさ」と「無駄な煩悶」というネガテイブな要素が、実はとても重要なのだと僕は考える。映像ならカットの変わり目の数フレーム、記事なら文末の微妙な言い回しに、その煩悶は必ず現れる。

視聴率や部数という売上げに左右される資本主義的経済におけるメディアとしては、このグレイで曖味な領域が、実はとても重要な意味をもつ。

でも近年、組織の合理化と情報の肥大化に並行するように、メディアはこのグレイゾーンを急速に喪失しつづけてきた。その帰結として、あらゆる事象は単純に善悪や正邪などの対立概念に遠元される。

■ ドキュメンタリーは嘘をつく森達也|草思社|200503月|ISBN4794213891

★★★

《キャッチ・コピー》

ドキュメンタリーとは事実の客観的記録である―ほんとうにそうなのだろうか?

すべての映像は、じつは撮る側の主観や作為から逃れることができない。

ドキュメンタリーを事実の記録とみなす素朴で無自覚な幻想からは、豊かな表現行為は生まれようがない。だが、撮ることに自覚的で確信犯的な作品の中には、観る側の魂を鷲づかみにしてきたものが多々ある。

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姜尚中■ 在日

20060720kannzainiti

日本にとって欧米は、絶えず自分たちの憧れであり先達だった。どんなに経済大国になっても、依然としてその意識はなくならない。

そして、東南アジアというのは、自分たちが積極的に働きかけ動かしていく対象とみなされてきた。

それでは、東北アジアとは何か。それは、いろいろに複雑なものが錯綜する地域に違いない。かつては文化的な先達であり、そして近代以降は、自分たちより劣った存在とみなし、時に蹂欄した地域である。それに対するある種の後ろめたさ、あるいは無関心、もしくは対立した意識を持ちながら、反面、非常に共感を感じる地域である。

その意味で二重、二重にアンビバレントな地域である。それは対欧米や対東南アジアとは違う。だからこそ、戦後、もっともこの地域への関与が遅れた。今、それがはっきりと変わりつつある。その変化の中に韓国があり、ネガティブな形で北朝鮮がある。

■ 在日姜尚中|講談社|200403月|ISBN4062123223

★★★

《キャッチ・コピー》

自分の内面世界に封じ込めてきた「在日」や「祖国」。今まで抑圧してきたものを一挙に払いのけ、悲壮な決意でわたしは「永野鉄男」を捨てて「姜尚中」を名乗ることにした。初の自伝。

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粕谷一希■ 鎮魂 吉田満とその時代

20060719kasuyatinnkonn

完成した「戦艦大和ノ最期」の原稿は多くの人間の間で廻し読みされたらしい。原稿を読んだ批評家の小林秀推は、滅多に他人の文章を誉めない人だったが、この原稿に接して、異様なほど興奮したらしい。

吉田満の勤務先である日銀まで出向いて面会を求め、古田満に直接、自らの感動を伝えて激励したという。小林秀昨は雑誌『創元』の創刊号への掲載を考えていたのである。〔略〕

吉田満の作品は、戦後民主主義の文学や思想では割り切れない真実の記録であった。当然のことながら、当時の占領軍とその協力者たちは、〃軍国主義を鼓吹するもの〃として、「戦艦大和ノ最期」が掲載された雑誌『創元』を発売禁止にしたのであった。

しかし、発売禁止で事はすまない。むしろ、禁止されて作品への関心は高まり、占領が終るや否や、争って読まれることになったのである。

■ 鎮魂 吉田満とその時代粕谷一希|文藝春秋|200504月|新書|ISBN4166604368

★★★

《キャッチ・コピー》

学徒出身の海軍少尉吉田満を乗せた「大和」が沈んだのは昭和20年4月7日午後223分であった。

奇跡的に生還した吉田は日本銀行のエリート行員として日本経済の中枢で戦後を送る。しかし、高度成長を謳歌し、そのなかで浮かれるには、彼はあまりに真摯に過ぎた。

山野に散り、深海に沈んだ多くの若者たちが死の前に遺した願いと誠実に向かい合ったひとりの男の見事な人生が、ここにある。

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長嶋有■ いろんな気持ちが本当の気持ち

20060718nagashimairoiro

たとえば畳や陶器のように何百年も前から滅びずに残る文化がある。インターネットも形を多少変えるにしてもこれから長いこと残りそうな気配である。

ワープロやパソコン通信のように、二十年そこそこで廃れる文化というのは珍しい。ワープロなど、そもそもなぜ生み出されたのだろうと疑問すら湧く。ワープロ以前の和文タイプ、ガリ版印刷、写植機も消え去ろうとしている。

しかしそれら全て、必要とされたから生み出されたのだ。物を書きたいという人の欲求の強さが、これらの機器をぺろりと平らげてしまったのか。今ワープロをみると、旺盛な食欲で食ベ終えたなにかの骨をみるような気持ちになる。

■ いろんな気持ちが本当の気持ち長嶋有|筑摩書房|200507月|ISBN4480814736

★★

《キャッチ・コピー》

「サインしていただけますか…好きな言葉を書いて下さい」

えっ。思わずみつめ返した。

「本当にいいんですね。好きな言葉を書いて」

うなずくので、僕は大きく二文字「増刷」と書いた。書いてみると思った以上に間抜けで、小さく「したい」と書き添えたらもっと間抜けになった。

―セカイとジブンが愛おしくなるエッセイ集。

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後藤正治■ 不屈者

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究極、棋士が残せるものは棋譜だけだと谷川はいう。この点でいえば、後世、語りつがれるほどの棋譜を谷川は残している。一九九六年十月、羽生竜王に挑戦した第二局における「7七桂」である。この一手で決まった将棋を、米長邦雄は「本局は谷川、生涯の名作であった」と記している。〔略〕

谷川の全棋譜にあたったことがある井上慶太は、7七桂を「谷川さんしか指せない、もっとも谷川的な、プロから見ても鳥肌の立つ手です。棋士冥利につきるというか、十年、二十年に一度生まれる手といいますか、歴史に残る一手です」と語った。〔略〕

『谷川vs羽生100番勝負』には、谷川・羽生それぞれが選んだベスト十局が収録されている。この一局は当然、谷川にとってベストワンにもなろう一局であろうが、谷川は選んでいない。奇異に思って訊いてみた。

「ええ、これは私にとっては会心譜ですが、羽生さんにとってはそうではないので……。選んだのは、双方にとっていい将棋という視点から選んでみました」

谷川らしい答えが返ってきた。あくまで気配りをする優しき人から、「恐るべき烈手」は放たれたのである

「美の成熟―谷川浩司」

■ 不屈者後藤正治|新潮社|200512月|ISBN410300651X

★★★

《キャッチ・コピー》

彼らは「人間力」で土壇場を凌いだ。プロ野球を追放された投手、全てのタイトルを失った棋士、生死の境を彷徨った登山家……絶望からの復帰を描く傑作ルポ!

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久田恵■ シクスティーズの日々――それぞれの定年後

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「実は自分は会社で生きるのがつらかった。仕事が生きがいと信じ込むことで、感受性を摩減させてしまつた」と。

そのせいか、定年後の「生きがい」などという言葉を聞くとムッとする。もう、「生きがい」なんてものから、男を放っておいてくれよ、という感じだ。〔略〕

平日の週三日、彼は午前十時から、午後三時までスポーツクラブで過ごす日々を続けている。ストレッチ、キントレを一時間、ウオーキングを一時間、泳ぎを一時間、休憩を挟みながら黙々とこなす。誰とも口を利かないですむことに深い安堵感がある。

会社では人の中で気をつかっていた。黙って自分とだけ向き合い身体を動かしていると、澱のようにたまった長年の疲労が身体から抜け、これが本来の自分だ、という身体感覚がよみがえってくる。

 ■ シクスティーズの日々――それぞれの定年後久田恵|朝日新聞社|200501月|ISBN4022579714

★★★

《キャッチ・コピー》

さまざまな夢と現実、さまざまな人生、そしてさまざまな…。ニッポンの60歳代は、何を考え、どのように生きているのか。家族との関係、社会との関係をどうリセットしていくのか。

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藤原正彦■ この国のけじめ

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熱いラーメンを食べるとなぜ鼻水が出るのか、あくびをするとなぜ涙が出るのか、鼻毛を抜くとなぜ同じ側の眼だけから涙が出るのか。日向ぼっこをしているとなぜ気分が悪くなるのか。

軒並みわからない。チョコレートとガムを一緒にかむとガムがなくなってしまう理由も、先日の大津波で海岸近くにいた象や猿などが死ななかった理由もわからない。〔略〕

住民の多くが望まない市町村合併や国民のほとんどが望まない郵政改革がなぜ進められるのか、国語がガタ落ちなのになぜ小学校で英語を教えるのか、一向にわからない。

そもそも私の気高さと底知れぬ魅力になぜいかなる女性も気づかないのか、という物心ついたころからの最大の謎すらまだ解けてない。

     

■ この国のけじめ藤原正彦|文藝春秋|200604月|ISBN416367800X

★★★

《キャッチ・コピー》

日本には守るべき「国柄」がある。痛快な時事評論から意表を衝く教育論、爆笑誘う身辺随想まで、いま熱い注目を浴びる論客のすべてをこの一冊に。

memo

共産主義の誤りに気づくのに七十年余りかかったが、市場原理主義のほうはその半分もかかるまい。(「愚かなり、市場原理信奉者」)

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高田宏■ 大空と大地へ還りゆく日は

20060714takatahiroshi

幼いころ熱を出して床に臥せるのが、一つの楽しみでもあった。

多くの人がそうではないだろうか。

寝ていると、熱でぼおっとした頭に、いろんな幻想が浮かんでくる。

別の世界に浮遊しているあの気持ちが好きだった。

それに、みんなが優しくしてくれる。とりわけ母が優しくなる。

母に甘える。

母はふだんのように叱ったりしない。とことん優しくなる。

■ 大空と大地へ還りゆく日は高田宏|河出書房新社|200309月|ISBN4309015824

★★

《キャッチ・コピー》

なつかしい海山、なつかしい生きものたち、なつかしい人々の、かけがえのない記憶。そして、一日をよく生き切ることのすばらしさ。生と死の姿を静かに見据えてつづる、自伝的エッセー。

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久田恵■ 大丈夫。

20060713daijyoubu

夕方、オフ会が終わって、皆が帰って誰もいなくなると、父が不思議そうに言った。

「最後はきれいにあとかたづけをして、実に礼儀正しいあの人たちは、いったいおまえのなんなんだ?」

そうね、なんなんでしょう? と言っていた翌日、それぞれのホームページには、デジカメで撮ったオフ会の写真が怒濤のように掲載された。特設の掲示板にはオフ会の感想が次々と書きこまれて活気に満ちた。

要するに、「掲示板」とは、生身では寡黙でシャイ、でも、パソコンを回路にすると突然生き生きと饒舌になる、そういうタイプの人たちこそが集っている場所なのであった。

■ 大丈夫。久田恵|主婦の友社|200208月|ISBN4072336262

★★

《キャッチ・コピー》

「危機の世代40代」に打ち寄せた、大波・小波を綴ったエッセイ集。老父の日常「父と暮らせば」、電脳化に立ち向かう「私のパソコン修業」など、ユーモアと温かな目が随所に光るエッセイ集。

memo

PTAの委員会を「夜10時からファミレスで」という著者の<非常識>の発想!

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小林信彦■ 東京少年

20060712kobayashitokyo

空腹の自習時間に、ぼくたちの班は手巻き蓄音機のふたをあけて、敵機爆音集のレコードをかけた。

それは、捕獲した敵機(爆撃機・艦載機)の爆音をさまざまな高度において録音したもので、「カーチスP40・高度3千メートル」といった解説が入っていた。

この解説の部分を飛ばし、爆音だけをきかせて、機種を当てさせるのが、ぼくたちのゲームである。

勉強はできないが、こういうことには強い者がいて、

「ええと、ロッキードだ」

とか、

「ボーイングBl7でしょう」

と、ずばりと当てた。

その時、奥の襖があき、飛び出してきた教師が、得意顔の少年を突き飛ばした。ぼくは呆然と立ち尽す。

「おまえの副級長の資格を剥奪する。ただの班長だ」

教師はぼくを指さして言った。レョードをとり上げ、廊下に出て、沓脱石に叩きつけた。

「ボーイングBl7の音なんて、当てても無駄だ。もう、ボーイングB29しか、われわれには関係がないんだ!」

■ 東京少年小林信彦|新潮社|200510月|ISBN4103318260

★★★

《キャッチ・コピー》

昭和197月、11歳の少年に突然突きつけられた「疎開」という名のもう1つの戦争。敗戦前後に多感な少年期を過ごした著者が、戦後60年の「現在」だからこそ書かなければならなかった自伝的作品。

memo

「一人の少年が戦争末期、敗戦の激動期に、何を考えて生きたかが、作品のテーマ(あとがき)」

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出久根達郎■ あらいざらい本の話

20060711dekunearai

『明鏡国語辞典 携帯版』発刊記念アンケート

――『明鏡国語辞典』へ一言お願いします。

まことにびろうな例で恐縮ですが、まじめな話です。「便意を催す」と申します。会話では遣わないが文章ではしばしばお目にかかる言葉です。これは用いられている設定から推量すると大体が(というよりほとんど)「大便」を催すことのようです。

ところが小生が今迄見た辞典ではいずれも「大小便をしたくなる気持ち」とあります。貴社の「明鏡国語辞典」には、「大小便、特に大便云々」とあり、わが意を得た思いがしました。実に細かく言葉を吟味していることが、この一例でもわかります。

「見る」はどの辞典にもあるが「見られる」を独立の一項に立てたことは珍しく、{語法}として「見れるはラ抜き言葉」と明示したことは一見識でしょう。

■ あらいざらい本の話出久根達郎|河出書房新社|200507月|ISBN4309017193

★★

《キャッチ・コピー》

古本・新刊・とっておきの本…本にまつわる極上の物語。古書・新刊を問わず、一冊の本を通じて、さまざまな思い出、ゆかりの人物がたちあがってくる。

memo

「明解」三省堂ではなく「明鏡」大修館書店です。

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絲山秋子■ ニート

20060710neto

新幹線ではビールよりもコーヒーがおいしく感じる。

飛行機のスープもそうだけれど、移動中というのはどうしても落ち着かなくて、落ち着かないときは温かいものがありがたい。

新幹線改札へ行き、自動券売機で自由席の切符を買った。

品川駅は東京駅みたいにしみじみしていなくていい。

万感の思いをたたえた人なんかいない。華々しい出発も涙の別れもない。

昔の人みたいに、列車の中までずかずか入り込んでくるような、うっとうしい見送りもいない。つまり無機質で味気ないってことでもある。

プラットホームは靴屋や文一房具屋と変わらない、目的を持った人の通過点だ。

――「へたれ」

■ ニート絲山秋子|角川書店|200510月|ISBN4048736434

★★

《キャッチ・コピー》

かけだしの女性作家と、会社を辞め、引きこもりをつづけて困窮を極める青年との淡い関係を描く表題作。大阪の彼女と名古屋の育ての母との間で揺れる東京のホテルマンを描いた「へたれ」他全5篇。気鋭の傑作短篇集。

memo

いま旬の作家っていうので絲山秋子を連続して読んでいるが、現代日本文学って痩せ細っているんだなあ。

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角田光代■ 恋するように旅をして

20060922koisurukakuta

たいした目的もなく、地図も持たず、交わす言葉も持たず、町を移動する東洋の旅人はひどく無力である。その無力さを自覚するとき、私はひとつのことを知る。

世界は私が思っているよりまともで、秩序だっている。秩序だたせているのは人々の持っている無自覚の善的なものにほかならない。

出会う人々の無自覚な善が、もし私をまったく違う場所へと運んできたとしても、おそらくたどり着いたその場所から、まったく同じものによって私はいつか目的地――目的のない目的地だったとしても――へと運ばれていくのだろう。

心細さや、やっていることの無意味さやばかばかしさに押しつぶされそうになりながらも私がもときたところへ引き返さないのは、そう信じているからに違いなかった。

――「幾人もの手が私を行くべき場所へと運ぶ

■ 恋するように旅をして|角田光代|講談社|200504月|文庫|ISBN4062750430

(「恋愛旅人」求龍堂・2001年を改題)

★★

《キャッチ・コピー》

時間ができたら旅に出る。かばんひとつで、予定も決めずに。タイの長距離バスに乗り、ベトナムではコーヒー屋に通い、モロッコで道に迷い、アイルランドのパブでひとりビールを飲む。地図を読むのは苦手だけれども、旅するほどにその土地に恋していく。

memo

あとがきでも「相手は、私の無知を許し、無力さと勝手さと気まぐれを黙認し、相手の領分に文字どおり土足で踏みこんでいくことをあたたかく見まもる」と書く。

この甘え。単なる身勝手な一人旅の“迷惑女”のモノローグ。しかし4年後の「いつも旅のなか」では見事に作品化に成功。

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角田光代■ いつも旅のなか

20060915itumokakuta

その町に流れる時間軸に、すっと入りこめるときがある。どんな町でもだいたい、滞在三日か四日目でそういうときがやってくる

そこでくりかえしおこなわれている日常が、肌で理解でき、自分がそこにくみこまれているのだと理解する瞬問。

隣のホテル前のパン屋では、小太りのアルバイト青年が店を開ける。昼すぎには、彼はおしゃべりな女の子二名と交代する。ダウンタウンの裏手にあるファストフード屋は、どうやら若い子たちの秘密のデート場らしい。私の宿泊してるホテルのホールでは、小規模なフラ大会や、小学生のパーティが開催されていたりする。

時間はゆっくり流れ、私の日々が町に溶けこんでいく。なんでもない夕焼けや、雨上がりの濡れた車道が、ああ本当にうつくしいなあと気づくのはそういうときだ。

――「サイミン

■ いつも旅のなか|角田光代|アクセスパブリッシング|200504月|ISBN4901976222

★★★★

《キャッチ・コピー》

とにかく旅が大好き。独特のスタイルで世界各地を旅する作家が、世界各地で出会った様々な事件や人々との触れ合いを楽しく屈託なく綴ったエッセイ集。

memo

 観光ガイド的でない。肩に力が入っていない。短編小説のような出来事が起こる。出色のこんな旅のエッセイ、かつてなかった。

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椎名誠■ 秘密のミャンマー

20060927himitunoshiina

 外国人の僧侶が七、八人座禅を組んで静かに夕陽の方向を向いて瞑想している。年配の日本人らしい僧侶が真ん中に座っていた。どうやらこの老僧に仕える修行僧のグループのようだ。片肌脱ぎになった外国人の僧侶の端から星条旗の入れ墨が見える。

 思えば日本を発つほんの数日前、ニューヨークの世界貿易センターのテロ事件があったばかりだ。けれどこの国に来てびっくりしたのは、そのニュースをミャンマーの国民は誰も知らないことであった。

テレビも新聞もそのことを一切報じていないのである。その後の様子が気になってさっきホテルから日本に電話したのだが、まさしくその日アメリカがアフガニスタンへの空爆を開始したのだった。

 星条旗の入れ墨をした丸坊主の米国人僧侶が瞑想している目の前を、ようやく橙色に衰えた太陽が静かに沈もうとしていた。寺院の中は不気味なほど静まり返っている。

■ 秘密のミャンマー|椎名誠|小学館|200310月|ISBN4093940452

★★

《キャッチ・コピー》

忘れられたアジアの微笑。超俗の不思議風景。渦巻き模様の怪しいひとびと。

秘密のミャンマー

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